実は明子が家出した翌3月22日、東京ではやはり世間を大いに騒がせる事件が起きていた。電話交換局局長の美人妻が銭湯の帰りに暴行、殺害され、当時は「大久保事件」、のちには逮捕された容疑者の通称から「出歯亀事件」と呼ばれた(「文春オンライン」2023年3月19日配信記事を参照)。そこでも「自然主義」が登場した。
伊藤整『日本文壇史12 自然主義の最盛期』によれば、1908年は、前年から雑誌に連載されていた田山花袋の「蒲団」など、人間の内面を赤裸々に描く「自然主義」の小説が目立った。その勢いに対して「自然主義とは、性を生活の第一の要因と見て、古い道徳を崩壊させる流派」という通念が流布した。「この觀(観)念は卑俗化され、好色と露骨さとが自然主義の特色であるかのやうに安易に受け取られた」(同書)。その中で発生した出歯亀事件は自然主義と結びつけられ、「自然主義は出歯亀主義」として揶揄されたという。明子と草平の「心中未遂」も同様の視線で見られたのだろう。
明子の書き置きには…
同じ日付の東日には、保護された時の2人の模様が描かれている。
「尾頭峠を2人連れで越える男女があるのを、ちょうど通り合わせた巡査はすぐそれとにらんで『ご両所、しばし』と呼び止めた。風のそよぎにも心を留める2人はハッと驚いたが、さすがに自分たちの身分を顧みて名前を偽る勇気もなく、巡査の尋問に応じて氏名を明かした」
東日はさらに父定二郎から話を聞き出し、明子の書き置きの存在を明かしている。
親の欲目か、娘に限って決してみだらがましいことがあったと思わない。今回の同行者が森田文学士であることをもって2人の間に怪しい関係があるとは判断し難い。何かその間に言うに言われぬ事情があるのではないか。しかし、今回の家出がよほど堅い決心をしたうえであることは、きのう見つかった袱紗の中の書き置きからも分かる。証拠となる物を一切、人目につかぬ所に隠したので、家人も何の手がかりもなかったが、机の引き出しで見つけた袱紗包みの中を何気なく見ると1通の書き置きがあった。
我が生涯のシステムを貫徹す
我がCauseによつて斃れしなり
他人の犯すところにあらず
三月二十一日夜 平塚 明(原文のまま)
とあり、この文面から見れば、あるいは親の想像以外のことに関係があるのではないかと心を痛めている。
「Cause」は「原因」であり、書き置きは、家出の原因は恋愛ではなく、自分個人の世界観、人生観だと言っているのだろう。これに対して辛辣だったのは同じ日付の1面と社会面で報じた二六だ。社会面では「春子(まだ誤っている)の怪気焔(炎)」の中見出しで、保護された明子が警官に対して放った言葉を生田長江(※)から聞いて記録している。
※生田長江:のちにニーチェの翻訳などで知られる鳥取県出身の文芸評論家・翻訳家。森田草平とは一高以来の友人で「同志」。当時、2人は明子に文学を指導していた。



