「駆け落ちは罪悪ではない」

 愛情は相互に発露して初めて円満になるものだ。だから、男女はお互いに自分の愛情の思う通り、理想の人と夫婦になることをもって真理とする。そのようにして成立した夫婦でなければ家庭の円満を保てないのではないか。家庭の主権者が娘の意中を考えずに、勝手に名誉や栄達に惑わされて配偶者を選ぶようなことは、思想界をかき乱すのも甚だしいもので、そうした結婚は永遠に円満であることはできない。私はこのように意中の人と手を取り、遠い所に来たことで、最も恋愛の真情が流露(=にじみ出す)したと思うから、世人の言うように、駆け落ちは決して罪悪とは認められない。

平塚明(平塚らいてう) 国立国会図書館「近代日本人の肖像」より

「明子が口角泡を飛ばして気炎を吐くので、警官はあっけにとられた」と記事は言う。二六は1面でこれに反論。明子を批判する。

 明子の家出は全く当世流の理想的結婚を主張して家庭と相いれず、ついに今回の始末となったと報じてきたが、やはり彼女は定二郎氏その他、友人が弁護するような高潔な婦人ではないうえ、深遠な思想を持っているわけでもない。全く情夫である文学士・森田米松と手を取って野州塩原付近を道行きしつつあるだけだ。

 よくこんなふうに断定的に書けるなと思うが、「読者にとって読み物として面白ければいい」というのが当時の新聞の性格だった。記事は平塚家についても「表面非常に厳格だが、裏では風波が絶えない」とし、明子の姉が大学生の夫を迎える際に姉妹間に感情の衝突があり、「(明子は)それからいささかやけ気味になり、女子大の悪友と交際して『恋愛は神聖なり』ととなえて、ますます厳格な定二郎氏と相いれなくなるに至った」とした。

 連日報道を続ける萬朝報の筆致は同じ日付の1面でさらに悪意と皮肉に満ちている。

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 厭世家であるはずの明子は一人旅ではなく、号を「二十五弦」と称する文学士・森田米松という恋人(スイートハート)とともに宿泊。禅学どころの騒ぎではなく、蜜のような恋学を研究していたこと、おぞましい限りだ。

 

 明子は自分の書斎の机の引き出しにしかつめらしい遺書のようなものを入れてあったとは、いやはや、あきれ返った禅学令嬢というべきだ。

萬朝報は一貫して「禅学令嬢」と表記した

 さらに、生田長江はかねてから明子に恋慕していたことから捜索・発見に動いたと非難している(4日後の29日付で「全くの誤聞だった」と訂正する)。おそらく社会面とは違う書き手で、生田長江を知っている人物なのではないか。

 それにしても、思い込みによる悪罵を新聞で披露することにあきれる。それも当時のニュースの受け手の一面の心情を反映していたのだろう。それよりも、書き置きと「口角泡を飛ばして気炎を吐いた」内容が全く異なることに各社の記者や編集者は注意を向けなかったのだろうか。(つづく)

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