「こんなばあに何を聞きたいんや」
話を聞かせてくれたのは、長浜市に住む小林泰子さん(91歳)だった。軒先でここに来た経緯を簡単に説明すると「こんなばあに何を聞きたいんや」と笑顔で迎えてくれた。
そして、謎の遺構の画像を見せると、「あれはな、イシバイを作ってたハイガマや」と即答された。イシバイは石灰、ハイガマは石灰を焼く窯のこと。つまり、石灰岩を高温で焼成し、石灰肥料を製造するための窯、石灰窯だったというのだ。
私も当初、見た目が石灰の焼成炉に似ているとは感じていた。しかし、当地は直近の産出地である伊吹山まで、直線距離で5キロほど離れている。石灰の焼成炉は、原則として石灰鉱山のすぐ近くにしか存在しないため、焼成炉ではなく肥料を貯めておくサイロではないかと想像していたのだ。
しかし、当時の姉川にはダムがなく、河原に上流から流れてきた石灰岩がたくさん転がっていたのだという。河原の石灰岩を拾い集め、木炭か石炭と一緒に窯へ入れて焼成し、石灰肥料を作っていた。川を流れてきた石灰岩を拾い集めて焼成していたとは、目からウロコが落ちる思いだ。
河原にある大きな石は庭石などに使い、小さな石のことを“死に石”と呼び、これをハイガマに入れていた。木炭または石炭を用いて数日かけて焼き、水をかけて石灰肥料が完成する。その工程に、1週間ほどかかっていたという。当時はハイガマの上に簡単な小屋があり、焼いている時は煙が上がっていたそうだ。
手広い商売ではなく、個人の方が近隣の畑で使う分だけを生産し、売っていたそうだ。車がなかった時代、川を流れてきた石灰岩を使い、地区内で使う分だけ肥料を作っていたというのは、非常に理にかなっている。石灰肥料は天秤で量り、藁で編んだ俵に詰めて運んでいたという。航空写真を見て干し草ロールだと思っていたものは、実は石灰肥料が詰まった俵だったのだ。

