目をキラキラと光らせ、少女のように話す“愛しい老女”
小林さんの畑もこの近くにあり、サツマイモを栽培するためにイシバイを使っていた。当時は子供だったが、ハイガマに登って遊んだり、雨が降るとハイガマの取り出し口に腰をかけて雨宿りしたという。昭和30~40年ぐらいになると、より便利な化学肥料が入ってくるようになり、ハイガマは使われなくなった。
上り坂で往生する荷車を押していたことや、近くの山のU字溝を滑り台の代わりにして遊んでいたことなど、ハイガマ以外にも小林さんが幼かった頃の貴重な話をたくさんお聞きした。
「昭和一桁のババアが遊ぶとこなんかあらへんで、姉川で泳いだり、えらいやんちゃなおばあちゃんや」
そう話す小林さんの目がキラキラと光り、少女のように見えた。大正時代からムシロを叩くために使っていた竹の棒が今も残っているということで、現物も見せていただいた。80年前の出来事をご本人から直接、生の言葉で聞けるというのは、とても刺激的で楽しい時間だった。
突然の訪問にもかかわらず長時間にわたってお話を聞かせて頂いたことにお礼を述べて失礼したが、最後まで小林さんは「おおきにおおきに」と言って見送ってくれた。
小林さんのお話を聞くと、現場をもう一度見たくなった。その日は夕暮れになってしまったので、後日、改めて現地を訪れた。
最も見たかったのは、姉川の河原だ。現在は伊吹山との間にダムが出来てしまったので石灰岩が流れてくることはもうないが、当時の石灰岩がまだ残っているのではないか。そう思って河原に下りると、灰色の石灰岩があちらこちらに落ちていた。
かつてはもっとたくさん落ちていただろうから、地区の畑で使うぐらいの石灰肥料であれば、十分賄えたのだろう。
続いて石灰窯を改めて観察した。上の口は投入口だろう。
中を覗き込むと、一部がレンガ造りになっている。内部の温度は1000度に達するため、耐火構造になっているのだろう。
下の取り出し口周辺は、一部にコンクリートが使われているため、明治から大正時代に造られたものではないかと思う。
石灰の出口からは粒度の細かい粉が出てくるため、大半を石で塞いで少しずつ出てくるように工夫されているようだ。







