「色々な料理を作るのも楽しんで…」入院治療で変化した姉の状態
――入院治療で、状態が良くなっていったのですね。
藤野 前は「おはよう」と言っても「おはよう」と返ってこなかったんですが、短い会話なら3、4回と続くようになったんです。定期的にお風呂に入れるようになったので、入院前はベタベタだった髪も清潔になりました。
統合失調症の自覚はなかったようですが、入院中に処方された向精神薬を飲む習慣が付いていたおかげで、退院後も、何も言われなくても自分で薬を飲んでいました。
――映画の中で、藤野さんに向かってピースをするお姉さんの姿も映っていましたね。
藤野 そうですね。硬かった表情も豊かになって、以前の姉に少し戻った感じがしましたね。父からいつも「家事を規則正しくやるように」と言われていたので、郵便物を取ってきたり食事を温めたりといった簡単な家事もできるようになり、食事の片付けを自分から引き受けてくれることもありました。
姉はずっと食べることが好きだったのですが、退院してからは色々な料理を作るのも楽しんでいたようです。姉に「何かしたい」という意欲が湧き始めた証拠なのだと思って、それが嬉しかったですね。
「ステージ4の末期がんだった」姉が亡くなった時に湧いてきた後悔の気持ち
――お姉さんが亡くなった時、どのような思いでしたか。
藤野 姉は2021年に肺がんで亡くなったんですね。精神科病院を退院して6年後の2014年に診断されたのですが、その時にはもうステージ4の末期だったんです。後悔しないようにできることは最大限やっていたつもりですが、それでも姉が亡くなった時には後悔の気持ちが湧いてきました。
――それは、どういった後悔だったのでしょう。
藤野 姉は天文学や絵画が大好きで、能力を活かせる場がもっとあったはずなんです。でも、その機会が失われてしまった。統合失調症の急性期症状が出てから治療に繋がるまでにかかった25年という歳月は、あまりにも長すぎたなと。
2008年に姉が入院した時によく効いた向精神薬は、日本で1996年に認可された薬なんですよ。だからもしこの頃に受診できていれば、12年早くその薬を試すことができたかもしれないわけです。
母が認知症と思われる状態になり、介護の物理的な限界が来てようやく入院に至りましたが、もっと手前に、論理的に考えて違う道を選べたタイミングがあったんじゃないかと思うんですよね。
――振り返ってみて「あの時こうすればよかった」と思うことはありましたか。
藤野 1992年に、大学の相談室でカウンセラーの人から「家族療法をやってみよう」と提案してもらったことがあったんです。でも結局、両親が否定的だったので実現しなかった。
だからその時に、もっと両親と話ができていれば良かったと思います。そこが最良のタイミングでした。

