「統合失調症を発症していた事実をなかったことに…」姉の葬儀で抱いた父親への違和感

――お姉さんが亡くなった時、お父さんはどんな反応だったのでしょう。

藤野 姉を看取った後、病院から電話をして「姉が亡くなった」と伝えたんですが、父はただ「そうかい」とだけ答えたんですね。

 僕が帰宅して、亡くなるまでの経緯を伝えた時も、父はじっと静かに話を聞いていました。反応は少ないですが、父らしいと感じました。

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 葬儀の時、父親は弔辞の中で「私の研究を手伝ってくれた親孝行な娘だった。ある意味で娘の一生は充実していたといえるのではないか」と語っていたんですが、姉が統合失調症を発症し、長年苦しんでいた事実には一切触れませんでした。

――それを聞いて藤野さんはどう思われましたか。

藤野 姉の死の直後から、統合失調症を発症していた事実をなかったことに書き換えていることに強い違和感を覚えました。

 葬儀の前、父から「お棺に入れるために両親と姉の名前が入った論文を探してほしい」と頼まれていたんですが、お棺を閉める際、父親はその論文を姉の顔のすぐ下に置いて「これで始まって、これで終わったんです」と親戚たちに向かって発言していたんです。僕はこの行動を見て、父が自分の願望を押し付けているように思えました。

――映画の中で、お父さんが最後に、棺の中のお姉さんの鼻をちょんと触って別れを告げていたのが印象的でした。

藤野 父の言動には色々気になることはあったんですけど、あの動作を見たときに、父なりに娘を愛する感情や表現があったんだなと思ったんですね。だから、ドキュメンタリー映画にもその場面を残すことにしました。

 そうしないと父がすごく冷たい人に映ってしまうので、あの場面は必要だったし、大事な部分だったと思っています。

 

姉が統合失調症を発症したのは「誰の責任でもない」

――映画や書籍を通じて藤野さんは、お姉さんが統合失調症を発症したことについて「誰の責任でもない」と語っていましたね。

藤野 医学的に、統合失調症が発症する根本的な原因は現在でも解明されていないんですよね。原因がわからない以上、姉にも両親にも防ぎようがなかったわけです。

 だから「親の教育が悪かった」とか「本人の考え方に問題があった」といった根拠のない理由で、誰かが責任を感じたり、責任を取る必要はないと思っています。

――お母さんが時々、お姉さんの状態について「責任を感じる」と発言していたそうですね。

藤野 母が何らかの責任を感じているようだったので、僕はその時に「姉が発症したことについては、誰にも責任がない」と両親に言ったんですね。責任を追及してしまうと、事実を隠そうとすること、つまり病気の否認に繋がってしまうので。

 ただ、両親が姉を適切な医療から遠ざけ、家に閉じ込めたことについての責任は、また別の問題として確実にあると思っています。