「羽生さんのような手渡しですね」

 2日目、私は朝早い新幹線で名古屋に向かった。2022年に開設された「名古屋将棋対局場」は、名古屋駅から徒歩5分、複合商業ビル「ミッドランドスクエア」の25階という絶好のロケーションにある公式の対局拠点だ。すでに通常対局ではおなじみだが、タイトル戦を開催するのはこれが初めてとなる。

地上25階から名古屋の街を見下ろす

 控室に着いて立会人の屋敷伸之九段に挨拶し、さっそく現局面の検討に入る。藤井の継ぎ歩が的確な攻めで、永瀬が対応に苦慮している。香を走ったために、その浮いた香が狙われている――というのが屋敷の見解だ。

 ここで永瀬は、十字飛車を甘受する攻め合いを決断。藤井が狙いの香を取ってから竜を作ると、永瀬も桂を取りつつ馬を作って折り合いをつけた。最強の駒である「竜」を作り、手番を握ったのが藤井の主張。仕掛けの直後に跳ねた桂が健在なのと、藤井陣の左側が壁になって玉の逃げ場所が少ないのが永瀬の主張になる。

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 とはいえ手番は藤井だ。4筋の歩を取り込むか、それとも3筋を突くか。いよいよ猛攻か、と思っていると、藤井は敵陣にじっと歩を垂らした! しかも消費時間はわずか7分だ。

 屋敷と2人揃って驚く。「へえー、歩ですか」と屋敷。私が「羽生さんのような手渡しですね」と言うと、「そうですね」と屋敷がうなずいた。

 羽生善治九段との第72期王将戦七番勝負(2023年)、防衛後の記者会見において、藤井は第1局で羽生が見せた歩を垂らす手渡しを激賞した。

立会人の屋敷伸之九段

 藤井の歩の垂らしには、竜を追われにくくしただけでなく、永瀬の金銀を身動きできないようにしている意味がある。この手を見て、永瀬の指し手が止まった。

 控室には中澤沙耶女流二段と山口仁子梨女流1級が顔を出した。中澤は藤井と同じ杉本昌隆八段門下で、午後2時からの現地大盤解説会の聞き手を務める。大盤解説会場は対局場から車で15分ほどで、そこに行く前に立ち寄ったのだ。山口は同じ中京圏の岐阜県出身で、今回は勉強のために訪れたという。2人も歩の垂らしにはいたく感心していた。

 永瀬は81分もの大長考で金取りに桂を打ち込む。攻める、打ち勝つ。この番勝負、永瀬の姿勢は常に一貫している。今度は藤井が動かなくなり、そのまま昼食休憩に入った。