まるで加藤一二三九段のような場面が…

 本局、昼食注文は、藤井が初日に「叉焼飯セット」、2日目が「スパイシーキーマカレー」。永瀬は両日とも「麻婆豆腐点心セット」で、2日目は大盛りにした。

永瀬の昼食注文はてんこ盛り

 永瀬の注文を見て、私は今年1月に亡くなった加藤一二三九段を思い出した。加藤も同じ食事を連投することが多く、私が奨励会時代、対局中の加藤に食事注文を聞きに行くと、昼も夜も「うな重」の一言だけだった。対局中に将棋以外のことで思考を妨げないためだったそうだ。

 加藤もまた7歳下の中原誠十六世名人に対して苦戦していた時期がある。最初のタイトル戦は1973年の名人戦で、中原25歳、加藤33歳。加藤は中原にまったく勝てず、20連敗も喫した。しかし加藤はくじけず中原に挑み続け、1976年に連敗を脱した後は、2000年の最後の対戦まで40勝45敗とほぼ五分の成績を残した。

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 永瀬も、藤井との過去6度のタイトル戦はいずれも奪取に至らず敗れているが、直近の対戦成績は4勝2敗と勝ち越している。

故・加藤一二三九段 ©︎文藝春秋

 さて、局面の検討が面白すぎて肝心なことを屋敷に聞き忘れていた。あの永瀬の仕掛けについてだ。

「初めて見たけれど、知っていましたか?」

「いえ、初めてです。驚きました。あるんですねえ、ああいう仕掛けが。すごい研究ですね」

 屋敷はしみじみ感心した口調で語った。

 午後1時30分に休憩が明けても、藤井はなかなか指さない。再開から14分後、73分の長考でようやく藤井が桂を銀で取った。

 81分+73分+休憩の1時間。たった2手で3時間半もの時が流れた。時短、タイパが叫ばれる昨今、なんと贅沢なひとときだろうか……と感傷に浸っている場合ではない。藤井は馬取りに香を打ち、4筋の歩を取り込んで、永瀬玉に襲いかかろうとする。一気に緊迫した場面になった。

 例の垂れ歩がよく効いていて、永瀬は自陣にいる藤井の竜を追うことができない。もし1筋の歩が切れていれば、竜の前に歩を打って位置をずらすことができるのだが、今それをやったらあいにく二歩だ。

「(1筋の)歩を成り捨てるタイミングがなかったですね」

 と、屋敷がこぼす。