私にも、「誰かのために、いまの自分ができることはなにか」より、「誰かが私のためにしてくれることはなにか」が先にきていた時期があった。上司が希望を叶えてくれないとか、やりたいことをやるのに予算や人員が足りないとか。そういう文句ばかり垂れていた。
しかし、矢継ぎ早にやってくるタスクを試行錯誤で遂行していくうちに、同僚や先輩、取引先から必要とされるようになった。働く場所に私の居場所ができた。信頼を得たのだろう。すると、周囲に希望を叶えてもらえるようにもなった。これもひとえに、誰かの役に立てたからだ。
「居場所がない」と感じたときに忘れないでほしいこと
ここで大切な話をふたつ。ひとつめ。さまざまな事情で、誰かの役に立つことができない時期を過ごしている人もいるはずだ。そんなときは「誰かの役に立てないなら居場所はない」と自らを断罪しないでほしい。厳密に言うと「誰かの役に立つと、居場所ができたように思える」の反義が「誰かの役に立たない限り居場所はない」ではないから。
「近頃、居場所がないように感じるのは、誰かの役に立てていないからかもしれない。でも、いまは自分のことで精一杯だから、そう思っても仕方がないな。そういう時期なのだ。存在してはならぬと誰かに決めつけられたわけではないし、他者が私の存在意義を決めることは断じて許さない。私にもまた、誰かの役に立てる日が来るはずだ」と思ってほしい。加えて、自分の意図せぬところで、誰かの役に立っている可能性も忘れないでほしい。
ふたつめ。決して「嫌われたくないから」「無能だと思われたくないから」を、「誰かのため」行動のモチベーションにしないでほしい。
そのやり方が生存戦略として有効だった時期は存在したかもしれないが、大人になると、それは自分のことしか考えてない行動とみなされる。「誰かの役に立とう」の裏に「自分の存在価値のために」が透けてみえるからだ。そのやり方だと、ずる賢い人たちからつけ込まれることもある。
相手の役に立つ行為は、生活に支障をきたすほどの自己犠牲のもとに成り立ってはならない。自分を擦り減らすことと、相手に面倒をかけさせないためにするひと手間は別物だ。「面倒だからやらない」とか「損するからやらない」は自分のことばかり考えている状態だが、「やるとメンタルが崩れる」や「生きていくのが苦しくなる」は、自分を削る行為だ。
もし、あなたの周りに「これをやってくれないなら嫌っちゃうよ?」と、役に立とうとするあなたの心を支配して搾取してくる相手がいるなら、迷わずその場所を離れよう。
