仕事の「タイパ」「コスパ」が気になる理由
ある日、誰かがまことしやかに「タイパ」「コスパ」という言葉を仕事の場で使い出した。
身も蓋もない言い方をすれば、仕事における「タイパ」「コスパ」は、己の損得勘定を端正に言い直しただけの言葉である。工夫をしてパフォーマンス力をあげようと鼓舞しているように見せかけて、損をしないためのハックを採り入れないのは愚かだと静かに脅してくるのだ。
先述の通り、仕事は他者の役に立つことで初めて成り立つという前提がある。にもかかわらず、「タイパ」や「コスパ」を語るとき、他者にとってのそれらを考える人は少ない。多くが自分の「タイパ」「コスパ」だけを考えている。誰かの役に立つことが仕事なら、考えなければならないのは相手の「タイパ」「コスパ」なのに。
仕事で損得勘定を働かせる人の多くには、自覚も他意もない。得をしてやろうと狡猾に動く人がいないわけではないが、多数派ではない。ほとんどの人は、損をさせられることを強く警戒しているだけだ。少ない(と自ら定義した)原資を奪われる可能性を、常に考えている。自分は被害者になり得る側で、搾取されないように注意しないといけないと思っている。失敗は取り返せないとも。当人は、盾で自分を守っている感覚でしかないのだ。
なぜ「奪われる」と感じるのか。見込みのない経済成長など余裕のない社会背景や、きらびやかなライフスタイルが否応なしに目に入るSNSの影響は否定できない。先行き不透明なニュースが溢れ、生活が楽になったと実感できる瞬間は少ない。会ったこともない人の生活と自分のそれを比べ、肩を落とさざるを得ない日常がある。私たちは無意識のうちに、どうしたって自分が「持っている側」とは思えない仕組みに取り込まれている。