誰にでも「他者の役に立つ力」は備わっている

 しかし、本当にそうだろうか。私たちは常に持たざる上に奪われる側で、自ら望んで与える力はないのだろうか。

 そんなわけはない。他者の役に立つ力は、さまざまな労働に従事するほとんどの人に備わっている。我々の生活が、ひとりでは立ち行かないのが、なによりの証拠だ。持ちつ持たれつで、私たちは生きている。

 自分以外のすべての人が誰かの役に立って、自分にだけその能力がないと考えるのは不自然だし、私たちの生活が、誰かのわずかな労働資源を搾取することだけで成り立っていると考えるのも不自然だ。そういう側面が生活のなかに組み込まれていることは否めないが、「それだけ」で成り立っているわけではない。

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 仕事の場面で、奪われないことを最優先して盾を高く掲げすぎると、思ってもなかったことが起こってしまう。リスク回避に熱心になったばかりに「他者の役に立つより、自分が損をしないことを優先する自分勝手な人」と周りから認識されてしまうのだ。これは痛い。当たり前だが、自分が回避できたタスクは、ほかの誰かが引き受けていることを忘れてはいけない。

 ちょっとした手間を億劫がる同僚のことを、ある友人は「気持ちがケチ」と評した。言い得て妙だと思う。手間に費やした分を「少ない原資を削られた」と認識せず「相手にコストを掛けさせないために行動した」と改めるだけで、盾を掲げる高さは変わる。

※「成長」という言葉にひそむ罠や、相手の立場に立って仕事をする方法について書かれた記事全文は『週刊文春WOMAN2026春号』で読むことができます。

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