支えとなってくれた家族
「朝になれば、『いってらっしゃい』と送り出してくれて、練習から帰ると『おかえり』と迎えてくれる。病気の話を特別にすることもなかったし、空気が重くなることもなかった。もし妻に休むように頼まれたりしていたら、僕は自分の弱さに負けて、グラウンドに行けなくなっていたかもしれません。でも、彼女は僕が野球選手として日常を全うすることを尊重してくれた。それが本当に助けになりましたね」
夕方、練習を終えて家に帰り、娘の顔を見る。その「野球をして帰ってくる」という当たり前のサイクルを今はまず守る。そのように「プロ野球選手」としての日常を日々の中心に据える姿勢は、その後も原口さんにとって、がんという病気と向き合う上での基本的なスタンスとなっていく。
「手術までの間に、いろんなことを考えました。プロ野球選手としてこの病気になったことには、何か大きな『使命』があるんじゃないか、と考え始めたのも手術前のことでした。病気を治して一軍に戻る姿を見せることで、同じ苦しみの中にいる患者さんやそのご家族に勇気を届けたい。自分一人のためではない、新しい目標が生まれたんです」
1月26日に受けた手術について、原口さんは後に出版した回想録『ここに立つために』の中で〈後から聞いた話では、体の中は決して簡単な状況ではなかったそうです〉と書いている。
〈記憶は曖昧なのですが、目を覚ましたときには妻がこう呼びかけてくれていたそうです。
「全部取ったんだからね、もう平気でしょ?」
「がんは治ったんだよ、だからもう大丈夫!」〉
しかし、手術が無事に終わり、切除した部分の病理検査の結果が出た際、そこで担当医から告げられたのは「ステージ3b」という現実だった。
※本記事の全文(4000字)は「文藝春秋」2026年4月号、および月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(原口文仁「【大腸がん】打てば忘れる。でも、消せない不安がある」)。
短期集中連載 【前編】 がんで生まれ変わった10人 稲泉連(ノンフィクション作家)

大腸がん
「打てば忘れる。でも、消せない不安がある」
原口文仁(元阪神タイガース)

乳がん
「がん家系だからこそ『標準治療』のメッセージ」
梅宮アンナ(タレント)

胃がん・食道がん
「保釈直後の闘病が『あきらめない』の原点」
鈴木宗男(参議院議員)

膀胱がん
「病と向き合って竹下登の気持ちが分かった」
御厨貴(政治学者)

大腸がん・腎臓がん
「二度のがん、妻のがん死を経験した専門医の発見」
垣添忠生(日本対がん協会会長)

