100年後にはこの日が、政権交代みたいなちょろこいもんじゃなく「弱い者が強い者に勝った」日として位置付けられる。中世、近代、現代、ときてその後は何かわからんけど、「庶民革命の時代」、これが来ないといかん。税金を払う庶民が税金で食うとる極楽生活は何ごとかということでそれを打ち破っていく。厳しい競争のなかで頑張っているラーメン屋のおやじとかがニコッと笑える時代が来んといかん(*1)。

 これは河村がトリプル投票前の対談で語ったものです。投票直後には、大村ともども自分たちの勝利を「民主主義の夜明け」「新時代の幕開け」などと言っていました。いま振り返ってみれば、よくそんな大げさなことが言えたものだと思うのですが、本人は噓ではなく本気でそう思っていた節もあります。

「庶民革命」を担うはずだった“減税日本”のその後

 その後の展開ははたして「庶民革命」の名にふさわしいものであったか、疑問があります。トリプル投票と市議選での勝利を受けて市議会は議員報酬の半減を決め、市民税減税も5%を達成しました。当時、私はてっきりそれらは「庶民革命」の入り口であり、その後にさまざまな「改革」案が示されるのだろうと興味深く見守っていました。しかし、ついにそれ以上の何かが出てくることはありませんでした。名古屋城の木造化が注目を集めましたが、それを「庶民革命」に位置づけるのは難しいでしょう。

 むしろ、「庶民革命」を担うはずの減税日本の議員の不祥事や能力不足が次々と露わになりました。さらには、減税日本自体が、方向性の違いなどから分裂や離党の繰り返しですっかり少数与党になってしまいました。これらの責任は党の代表である河村にあるはずです。

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 2012年ごろ議員らに行ったインタビューによると、彼は議員を育てたり助言をしたりすることはほとんどなく、自由放任なのだそうです。この点は、同時期に橋下が代表を務め、厳しい規制のもとにあった維新の会とは対照的です。庶民によるボランティア的な政治参加といえば聞こえはよいのですが、結局のところ、素人議員は経験豊富な他党議員に太刀打ちできず、やり込められてしまうのです。

 その結果、弱った足元をみられ、多数派となった野党会派の主導により議員報酬は大きく引き上げられました。残ったのは減税5%だけですが、これも庶民向けの政策としては疑問が多く(本当にそうであれば、公明党や共産党などが喜んで賛成したはずです)、経済効果もはっきりしていません。