南京事件を否定

 このような状況に市民は失望し、河村人気も凋落するかと思うのですが、不思議なことに一向にそうならないのです。それほど経たないあいだに盟友の大村知事とも喧嘩別れしました(*2)。

 それでもなお、河村は市長選挙のたびに既成政党が推す候補を退け続けました。2009年の初当選から市長選5連勝(後継候補も含めると6連勝)です。減税日本もまた、一時は存続が危ぶまれるほどに弱小化したのですが、選挙のたびに一定の議席を維持し続けています。ただ、議席を獲得しては離党者を出し、また獲得しては離党者を出し、ということを続けています。それでもずっと一定の支持があるのです。

 私にはどうにも腑に落ちないのです。「ワシがやりたいのは名古屋で本物の民主主義を芽生えさせることだ(*3)」と河村は言うのですが、具体的な行動がまったくともなっていません。そして、名古屋市民もまた、そうした言行不一致など何の関係もないかのごとく河村を当選させ続けたのです。市長も市民も政治や行政のことを真面目に考えているのか、本当によくわからないのです。

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名古屋市の都市公園オアシス21とテレビ塔 ©kamogawa/イメージマート

 河村市政の15年のなかで、私が注目したことがもう一つあります。それは、このあいだに右派市民の河村人気は高まる一方だったということです。もともと河村は歴史修正主義的な意見書に名を連ねるなど、その筋では知られていました。それがより世間に知られるようになったのは、2012年、南京事件をめぐる発言が問題となった事件によります。

 名古屋市と姉妹友好都市である南京市幹部が表敬訪問した際、河村は「南京事件はなかった」と発言しました。わざわざ事を荒立てなくてもと思うのですが、彼は戦略的というよりはバカ正直なのだと思います。

 この発言に対して中国側が強く反発し、公的交流が停止するなどの影響が出ました。これに対し、国内の右派は河村を支持する動きをみせました。具体的には、渡部昇一を代表とする右派団体が、安倍元首相、石原都知事、原口一博元総務相ら超党派の呼びかけ人をともなって新聞に意見広告を出しました。河村はこうした「援軍」に意を強くしたとみえ、発言を撤回することはありませんでした。その後ずっと南京市との公式な交流は止まったままです。