「表現の不自由展」とリコール捏造事件
そして2019年、「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐって大騒動が勃発しました。この企画展は、政治的な理由などで非公開を余儀なくされた作品をあえて展示し、表現の自由について考えるという趣旨のものでした。しかし、そこに慰安婦を表現した《平和の少女像》が展示されたことが右派を大いに刺激することとなったのです。
河村は抗議の先頭に立ち、実行委員会の会長である大村に中止を求めました。全国から抗議・脅迫が殺到し、公開期間の大幅な縮小を余儀なくされたこの企画展は、表現の自由をめぐって大きな議論を呼びました。
開催後、河村が市の負担金の一部支払いを拒否したことで、問題はさらに長期化しました。河村の言い分は、展示が「日本人の心を踏みにじるもの」だというものです。それに「お墨つきを与える」形になるため公金を支出できないとの理屈です。一方、大村は「思想・良心の自由」「法の下の平等」の観点から河村に反論しました。このことは裁判で争われ、最終的には市が負担金を支払う旨の決定が下されました。河村の主張は通らなかったのです。
河村は「日本人の心」と言いますが、正確にいえば「右派市民の心」であって、それを国民全体に適用するのは無理があります。しかし、もちろん右派にとっては河村の言い分が正しいわけです。
河村はまた別の形でも異議申し立てを行いました。大村知事をリコールする署名運動です。約10年前のリコール運動の成功体験と、ネット上での溢れんばかりの右派市民の支持に成功間違いなしと誤解したのだと思われます。そうでなければ、いくら河村でもこんな手の込んだことをするはずはないし、右派の著名人たちも支援に動かなかったでしょう。
仮に大村が自ら慰安婦像を県庁に設置し、県民はみなこの像をみて過去の戦争での加害責任に思いを致すべきであるなどと言うのであればまだしも理解できますが、芸術祭のいち企画展を許可しただけで知事を辞めさせるというのは無茶です。そもそも県民の大半は、慰安婦像がどうこうといった政治色の強いことには、特別な関心を持ちません。その証拠に、リコール運動は署名数がまったく足りず失敗します。そればかりか、実施者が大量に署名を偽造していたことが明らかになるなど、なんとも情けない終わり方をします。
とはいえ、右派市民にとって河村は信頼に足る存在となったのでしょう。百田が立ち上げた日本保守党に河村が共同代表として就任しました。これはもちろん、彼のこれまでの右派的な言動に親近感をおぼえたことによるものです(この件で、話が違うと離党した減税日本の議員も複数いました)。
