歯科医院が少なく、また需要も多い時代。本山歯科医院は繁盛し、1日60人ほどの患者が訪れる。

 当然のように収入が増えると、本山の生活は派手になり、外車を乗り回し、料亭勤めの愛人(年齢は本山の1つ下で離婚経験あり)を作った。夫の浮気に気づいた妻が子供を連れ実家に戻ったのが1958年12月。

 翌1959年3月から家庭裁判所で離婚協議が行われたが、上手く話し合いはつかない。その間、本山は憧れだった車「日野ルノー」の新車を購入し、愛人のために練馬区南町にアパートを借りて同棲。1959年8月には女性との間に男児が誕生し、その後、愛人名義で借りた上荻窪の一軒家に転居する。

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事件につながる「愛人との暮らし」

 愛人との暮らしで金は瞬く間に消え、本妻の親、金融機関などから借りた金が180万円ほどに膨らんだ。1960年に入ると別居中の妻から不倫に対する相当額の慰謝料を請求された。

 実家を頼ろうにも、戦後の農地改革により広大な土地は国に買い上げられている。それまで金に困った経験のなかった本山は、この窮地から脱するべく身代金目的の誘拐を思い立つ。