横浜から大阪へ逃亡

 本山は横浜から大阪に逃げ、まず大阪市港区の飯場で働いた後、6月1日から布施市(現・東大阪市)荒川町1丁目のハンドバッグ工場で職を求める。

 飯場時代の知り合いの紹介で来たという本山に対し、工場経営者は念のため履歴書の提出を要請。そこには、こんな文言が記されていた。

〈本籍地は新潟県糸魚川市。現住所は大阪市港区東田中町8丁目。名前は山田正五。最終学歴は魚津中学、昭和18年、陸軍兵器学校入校。復員後、愛知県半田市の歯科医院で見習い技工士に就く〉

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 経営者は出鱈目な履歴をいたく気に入り採用を決定。本山は翌日から工場2階の6畳部屋で住み込みで働くようになる。

 就労時間は午前8時から18時、月給は3千円。真面目に働いた本山は数日で熟練工の域まで達した。しかし、それから40日が経過した7月12日、新しい求職者が現れ事態は一変する。