ヒントにしたのは、事件前月の1960年4月にフランスの自動車メーカー「プジョー」会長の孫が誘拐された「エリック坊や誘拐事件」だった。このとき、会長が孫を救うため莫大な金を払ったことを知り、これを真似てみようと考えたのだ。なんとも短絡的である。

 1960年5月16日午前8時、本山は目黒駅にいた。狙いは、ここでバスを乗り換える慶應幼稚舎に通う子供。その親は金持ちに違いないと考えた。幼稚舎の子供なら誰でもよく、雅樹ちゃんに声をかけたのもたまたま前を通りかかったからだ。

「キミのお母さんに頼まれ、迎えに来たんだ」

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 言葉巧みに雅樹ちゃんを車に誘い込み、そのまま愛人と暮らす上荻窪の家へ。このとき、愛人女性は息子を連れて実家に帰省中だった。

 雅樹ちゃんから住所、電話番号、家族の情報を聞き出した後、睡眠薬で眠らせ、午前11時ごろに彼の自宅へ電話をかける。母親に告げたルートは入念な下調べを行い決めたものだった。

 しかし、都合3回、家政婦に金を持たせ、その姿を確認すると、常に彼女の後ろを警察官らしき女性が尾行しているのに気づいた。そこに、のこのこ顔を出せば逮捕されるのは明らか。もはや金を奪うのは不可能ではなかろうか。焦る本山に事件の詳細を伝える新聞の過熱報道が追い打ちをかけた。

少年を殺害

 そして、18日午前1時ごろ、睡眠薬で朦朧としている雅樹ちゃんに都市ガスを吸わせて殺害。遺体は米俵に詰め込み、そこに石を入れ海か川に投棄する予定だったが、すでに警察の追っ手が迫っていることを知り、遺体を包んだ米俵を愛車ルノーの後部座席に乗せ、警察の包囲網を強行突破。

 18日の深夜に上高井戸の路上で車を乗り捨て、逃亡する。そのころ、ラジオからは警察に要請され協力に応じた東京歯科大教授の声が流れていた。

「本山君。思い出してください。キミは6年間、放射線学を教えた私の声を忘れていないはずだ。キミはどこにいるのか。キミの犯罪を悲しみます。逃げ隠れしてどうするんですか。1人で自首できないならともに過ごした先生、友人を訪ねて一緒に自首してください。私の家の電話番号は……」