なぜ“日本有数の別荘地”に?
戦国時代には武田と上杉の争いの舞台となり、秀吉の小田原征伐では上杉・前田・真田の連合軍が軽井沢から碓氷峠を越えて北から関東平野に侵攻していった。
と、歴史に名を残す軽井沢だが、町として形ができあがったのは宿場町が整備された江戸時代。同じく浅間山の麓の宿場だった沓掛宿(現在の中軽井沢付近)や追分宿とともに浅間三宿などと呼ばれて賑わった。
明治に入ると国道が整備され、また1893年に信越本線が全線開通すると、宿場町の機能は失われて一時的に衰退してしまう。ところが、ちょうどその頃に北陸への布教旅行で通りすがったカナダ生まれの宣教師A・C・ショーが軽井沢をいたく気に入り、別荘を建てた。
以後、宣教師をはじめとする外国人のリゾート地として注目を集めるようになり、さらに徐々に日本人も別荘を構えるようになってゆく。亀屋ホテル(現在の万平ホテル)や三笠ホテルといった西洋流のホテルが軽井沢に現れたのもこの頃だ。
さらに大正時代に入ると、西武グループ(当時の国土計画)らによる本格的な開発も進み、商店街などが形成されてゆく。そうして、いつしか軽井沢は日本中、そして世界中に名を知られるリゾート地になっていったのである。
ただ、若い人でも気軽に海外旅行に行けるようになった1980年代以降は、別荘地としての存在感は薄れてしまう。
それでも北陸新幹線の開業や大型商業施設の開業もあって、いまでも東京に近いリゾート地としての地位はまったく揺らいでいない。それは、軽井沢駅で大挙して降りてゆくお客の数に表れているといっていい。
もちろん、いまでも別荘地としての側面も健在だ。


