「不自由な足をバカにされた」
小原は1933年(昭和8年)、福島県石川郡石川町の貧しい農家で、11人兄弟姉妹の10番目の子供として生まれた。小学4年生のとき、ちょっとした右足のあかぎれから骨髄炎を患い、歩行に支障をきたすようになる。学校を2年休学したことで2歳下の者と同級生となり、不自由な足をバカにされた。本人にとっては大きなコンプレックスで、その影響もあってか窃盗などの非行に走った。
中学卒業後、座ってでもできる仕事として時計の修理工になるべく仙台の時計店に見習いとして就職。しかし、ここで肋膜炎を患い静養のため実家へ。しばらく時計の巡回修理をしていたが、手狭な実家は住みごこちが悪く、20歳のとき、新聞の求人欄で見つけた某デパートの時計売り場で勤め始める。
2年後、同僚の女性に足のことをからかわれ逆上し退職。その後、上京し上野の時計店で職に就き荒川区南千住に部屋を借りる。しかし、月給2万4千円の生活は苦しく、時計を横流しして暮らしを補っていたところ、店主にバレて解雇。以降、職場を転々とするうち1人の女性と恋人関係となり、彼女のヒモのような暮らしを始める。
金銭面では常に困窮しており、事件を起こす前、方々から借り受けた金は20万円に膨らんでいた。1963年3月27日からの帰省も金の工面のためだったが、自分が実家、兄弟、親戚の厄介者であることも十分承知していた。ために、結局、実家に立ち寄ることはできず、帰省中はホームレスのように野宿を繰り返し、逃げるように東京に舞い戻った。
事件発生から2年。捜査は完全に行き詰まっていた。その間、東京では「吉展ちゃんを無事に返そう」と書かれた看板を持った市民が街を歩き、双子歌手のザ・ピーナッツが事件を主題とした楽曲「かえしておくれ今すぐに」をリリースした。誰もが吉展ちゃんが生還することを願っていた。