犯人は嘘をついている

 これに対して、小原は当初「時計の密輸話を持ちかけた人物から横領した」と述べたが、その人物の具体的な情報を話さない点を問い詰められて、取り調べ4日目にそれまでの供述が嘘であることを認めた。が、以後は雑談には応じるものの、話が事件に近づくと曖昧にはぐらかしたり、黙秘を続ける。

 平塚は福島県に住む小原の母親に会った際、「もし息子が人として誤ったことをしたなら、どうか真人間になるように言って下さい」と言いながら母親が土下座をしたエピソードを話し、自供を促した。アリバイが崩れていることはあえて口にしなかった。

 そして迎えた勾留期限最終日の7月3日、小原が何気ない雑談の中で、1963年4月3日に東京に戻った際、山手線から火事を見たと口にする。

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 平塚はピンときた。小原の言う火事は負傷者220人を出した「日暮里大火」に違いない。が、火災が起きたのは4月2日。小原は嘘をついている。平塚はここから一気に責め立てた。録音テープに残されたその際の会話を一部再現する。