即戦力ルーキーという雰囲気ではなかったが…
しかし、実際に入団直後の古田の扱いは、期待されているとは言い難かった。監督の野村の考えを知ろうとその著書を読破していたが、当初は指揮官に挨拶をしても無愛想な返事だけ。古田自身もヤクルトの米国ユマ・キャンプでは木製バットへの不安を口にするなど、決して即戦力ルーキーという雰囲気ではなかった。
しかし、いざ背番号27が紅白戦でマスクをかぶると、投手陣からは「とても新人とは思えない」と絶賛の声が相次ぐ。捕球してからの二塁送球のタイムを計れば、抜群の速さをみせて賞金をかっさらう。技術だけでなく、パドレスの元新人王捕手サンティアゴに物怖じせず捕球技術や送球方法を聞く度胸のよさもあった。実はキャンプイン後に野村監督も、古田の捕手としての能力の高さに内心驚いていたという。
「初めて古田のプレーを見たのは90年春のユマキャンプでした。その時点ですでにスローイングもキャッチングも天才的なほど素晴らしかった。股関節も柔らかく、腰がしっかりと落ちるから安定感も抜群。肩は特別強いとは思わなかったけど、捕ってからがとにかく速い。“あとは配球術だけ教え込めば正捕手としてモノになる”、そう思ったことを覚えていますよ」(『ベースボールマガジン』2021年12月号/1990─98「野村ヤクルトID野球の遺伝子」)
前年のヤクルトの捕手陣は秦真司82試合、中西親志76試合、八重樫幸雄15試合とレギュラー不在に悩まされ、盗塁阻止率・268はリーグワーストだった。すると野村新監督は1990年の開幕直後こそ、打力に定評のあった秦を正捕手で起用したが、課題の守備面で不安を露呈し、4月28日の巨人戦からスタメンマスクに24歳の古田を抜擢したのである。30日のカード3戦目で初安打・初打点を記録。チームを勝利に導き、野村監督は「会心のリードや。打ったから言うんじゃない。今日の殊勲者は古田だよ」と働きぶりを絶賛した。
