会社のために動いたのに、待っていたのは“左遷”だった――。30代半ば、欧州での大仕事をやり遂げた出井伸之氏(1937~2022)を襲った突然の人事。

 物流センターへの出向というほぼ島流しの人事に、彼は何を思い、なぜ辞めなかったのか。異端のサラリーマン人生を、ノンフィクション作家・児玉博氏の新刊『ソニー神話を壊した男 出井伸之が創った未来』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

出井伸之氏 ©文藝春秋

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盛田からの指示

 出井が30歳、入社してようやく8年経った頃の話だ。ただし、出井の場合は留学期間があるので、正確にはソニーで仕事を始めて6年といった方が正しいかもしれない。

 出井は突然、当時、社長だった盛田昭夫の部屋に呼ばれた。訝りながら、社長室に盛田を訪ねると、そこにはすでに出井と同期入社の2人が盛田の前に立っていた。並木政和、水嶋康雅の2人だった。状況が飲み込めない3人に対し、盛田の指示は、明確だった。

「並木はイギリス、水嶋は(西)ドイツ、出井、お前はフランス。3人で協力してそれぞれの場所で現地法人を作ってきなさい」

 盛田の説明は3人を啞然とさせた。

 盛田の意図は、ソニーの商品をより効率的に欧州で販売することにあり、盛田は代理店ではないソニー自前の販売チャンネルを構築する必要性を痛切に感じていた。現地の小売店に直接ソニーの商品を卸せば、もっと欧州でのソニーの知名度は上がり、販売も拡大する。盛田はそう考えていた。

 3人とも、余りに重い使命に言葉を失ったが、眼の前の盛田は真剣そのものだった。ソニーはまだ若い会社だった。入社して10年にも満たないような“小僧”に、ある意味、会社の命運を託すような使命を与える、若々しい会社だった。

 1968年、出井はパリに旅立つ。出発に際して、盛田は出井に1つだけ注文を出す。

「海外に進出するにはその国のインサイダーにならないとダメだ。現地法人を作り、現地の人間を雇わないとダメだ。そして、現地法人のトップには、現地の一流の人間を据えないとダメだ」。盛田は、自らの経験をもとに出井らにこうアドバイスした。アドバイスとはいえ、これは出井らへの厳命でもあった。