病状の深刻さを知るまさかのきっかけ
愛迷 あります。一応、執刀医が「あまり目立たないように」と配慮はしてくれているのですが、左の脇の下あたりから、おヘソくらいまで繋がった傷跡があります。全部で100針くらいは縫っていると思います。
――愛迷さんはもちろんつらいでしょうし、ご家族も精神を摩耗する闘いですね。
愛迷 実は私、自分の病状の深刻さを当時は知らなかったんです。母が私の前で弱気なことを言ったり涙を見せたことがほとんどなくて。1回だけ、5歳のときに涙を浮かべているのをみたくらいで、そのときも「お母さん泣くんだ」とぼんやり考えていました。もちろん「常に体調が悪いな」とは思っていましたが、生死をさまようレベルの病気だと知ったのはあとになってからなんですね。
――ご自身の状況を知るのは、いつ頃ですか。
愛迷 小学3年生くらいのときでしょうか。心底恥ずかしいのですが、当時、私はダジャレにハマっていて……「布団がふっとんだ!」「ウメはうめぇ!」みたいなことを言っては母に披露していたんです。母はそれをニコニコいつも聞いてくれて。ある日、「がんになった人はがーん!」と言ったんですよ。すると母が血相を変えて、「そんなことを言ってはいけない!」と。そのあと、私の身体に起きていたことをきちんと説明してくれました。
――それ以外に、ご自身の病気についての記憶はあまりないのでしょうか。
愛迷 病院の真っ白な世界にいた記憶は鮮明にあったんです。身体の傷も、体育のときに着替えるとみんなと違うのでなんとなくわかりますよね。でも当時は完全に自我が固まってなくて、ふわふわ生きていたと言うか。たしかに、月に1度は必ず病院に通院をしてはいました。母のその話を聞くことで、点と点が線で結びついて、記憶に刻まれているという感じでしょうか。「だから、私は病院でずっと過ごしてきたのか」と腑に落ちたことを覚えています。
――お母様に対してどのような気持ちになったかなど、覚えてらっしゃいますか。



