「下半身だけ露出したまま自転車を…」戦争から帰還した父の奇行
発端は、美千代さんの生まれる前、終戦後まもない1948年(昭和23年)、親族が家を新築したときのこと。紋付姿で親戚一同が集まっている場に、突然、怒号が響き渡った。
「『なんだこれは』と、ものすごい大きい声でみんなをにらみつけたと」
舞鶴港を経て鳥取の故郷へ復員してきた、父・石松さんの姿があった。千島列島でソ連の捕虜になり、抑留生活3年を経ての帰還だった。新居は、終戦後すぐに満州から引き揚げてきていた弟のために建てられたと勘違いし、突然声を荒らげる石松さんに周囲は驚きを隠せなかった。
「こんな石松は見たことがなかった」、後年親戚は美千代さんにそう証言した。ほどなく石松さんは結婚、鳥取市内に中古の家を買い、兄や美千代さんが生まれた。父はダンプの運転手で生計を立てだしたが、酒を欠かさない暮らしがはじまる。
美千代さんは、飲みに出たまま帰ってこない父を居酒屋まで迎えにいった5歳の記憶がある。酔いつぶれた父をリアカーにのせ、母がひいてかえってくるようなことも多々あった。酒量は増え、しだいに父の奇行は目に余るようになっていく。
近所の人から教えられ、美千代さんが通りに出ると、父は、下半身だけ露出したまま自転車を押して歩いていた。
「死ぬぞ」何度も繰り返された「心中ごっこ」
忘れられないのは、夕飯のとき。家族団らんの象徴的場面。
父母、兄と4人の家族がそろって席につき、さあいただきます、この瞬間だった。突如、父は、ちゃぶ台をひっくりかえす。飛び散る料理。家族は、父がさんざんに飛び散らせた床の食べ物を拾って、食事にするのだった。
奇妙な「ごっこ」もよくあった。
「起立!」と号令をかけて、子供たちをまず並ばせ、指の先までぴしりと揃えさせる。まるで軍隊の整列のよう。すると父はガス栓をひねり、シューとガスの吹き出す音のするなか家族みんなに告げる。「死ぬぞ」。
母が半狂乱となって「死ぬんならお前だけ死ね」、父にとりつくと、父は布団に突っ伏して狂ったように泣いて、終わる。何度も繰り返された「心中ごっこ」。
