母親からは罵声をあび、暴力を振るわれ…結婚後には夫から激しいDV被害

 父と兄の美千代さんへの所業を知っていた母は、美千代さんを名前で呼ばなかった。

「汚(きたな)ぎもん」

 そう呼んでは罵声をあびせ、暴力をふるった。初潮を迎えたときも、母は自分が使う生理用品を投げつけるばかりだった。母は、生前の父との性行為を拒んでいた。あとになって、自分は人身御供にされたのだと、美千代さんは感じた。

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 そして、自分が汚れた者であるという感覚、女性であるということの負い目が心の奥に残った。美千代さんは高校を卒業すると、母から逃げるように大阪に出て、21歳で結婚をした。それでもまだ平穏は訪れなかった。

「いちばん危険な家庭しか知らないわけです。夫はDVをする人で、ギャンブルばかりして、アル中の人でした」

 ほどなく子供も生まれたが、夫の激しい暴力にさらされながら、何が正しいやり方かも分からない子育てのなかで、次第に美千代さんも酒びたり、キッチンドリンカーに陥っていき、ある日、まとわりついてきた1歳半の娘を、「うるさい!」、突き飛ばしてしまった。ここで我に返った。

「まるで自分の実家と同じ家庭じゃないか」

 破滅的生活も暴力も世代を超えて連鎖していたことを、身をもって知った。以後、子供に手をあげたことはない。そして、30代に差し掛かるころには、ベトナム戦争帰還兵のPTSDを描いた映画などを見ていたこともあり、父も同じであったことに気付いていた。でもすべては「個人の問題」。そう捉えていた。

写真はイメージ ©アフロ

「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との出会い

 だが2023年、偶然手にとった小さなチラシが転機となる。それは、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」(以後、家族会と略)の案内状だった。引き寄せられるようにして会合へ行ってみると、会場には同じような問題を抱えた家族が20数人も集まっていた。

 これまでの境遇も、他人に話し、他の人の話も聞いてみた。元兵士の子供たちは、皆、親の戦争トラウマによって傷ついていたのが分かった。こんな思いが頭をもたげてきたのだった。

〈父のことや、家族のことは個人的な問題ではないんじゃないか。『社会的な問題』なのでは〉