細木が撮らせた“水着姿”

 光星龍とは細木の別名で、この名前で島倉の歌もいくつか作詞している。都はるみとの対談ではさらに、細木に救われたおかげで生きる喜びを見出し、世間も広がったと島倉がしみじみと口にしたあとで、はるみが《それでヌードにも挑戦。(笑)》と茶々を入れた。これに対し島倉は慌てて《ならないわよ! あれはね、グアムに行ったとき、ママの水着を借りて海に入っただけよ。それがヌードになったなんていわれて、困りますよ》と返している。

 水着というのは、パンタロンと同じく細木が島倉のイメージチェンジのためカメラマンに撮らせたもので、ヌードにはいかないまでもかなり肌を露出させていた。もともとカレンダー用に撮ったのが週刊誌にも転載され話題を呼ぶ。島倉はデビュー以来、清純派のイメージが強かっただけにそのインパクトは大きかったようだ。

1977年、借金について会見で涙ながらに説明する島倉千代子(左)と後見人として同席した細木数子(右)

借金返済のために夜な夜な歌って

 このほか、当時の島倉は細木の経営するディスコのママを務めたほか、キャバレーやクラブを夜な夜な回って歌った。じつは彼女は、それまでたびたび声が出なくなる経験があったので夜10時以降は歌わないと決めていたのだが、借金の返済のためその禁を破ったのである。

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 1980年に細木の事務所から個人事務所に移籍するに際しては、世間では両者の確執が取り沙汰された。当の島倉は、自伝『歌ごよみ』(読売新聞社、1994年)で、独立の理由について、いつまでも細木に甘えているわけにもいかないと思ったことを挙げるにとどめ、《細木さんには本当にお世話になった。彼女のおかげで、私は強い人間になったのだ》と記している。ただ、続けて、次のような感慨を抱いたことも明かしていた。

《そして私は、キャバレーやクラブからやっと解放されたのだ。夜十時以後はうたわないという掟を破って、なんとかこなしていたが、たばこの煙がたちこめる場所では、のどにかなりのムリがかかっていた。自分でも明らかに分かるほどだった。/「昼間と夜の仕事を大切にして、長期間で[引用者注:残った]借金を返していこう」/という話し合いが出来て、再び夜十時以降はうたわないという習慣に戻った。キャバレーとのお別れは、やっぱり嬉しかった》