私はその様子を撮影しながら、具志堅さんに無事カメラを向けることができたということにまずは安堵していた。加えて、カメラを向けられても極めてニュートラルな状態でいてくれる具志堅さんに、私は望外の魅力を感じていた。本心を映されることを恐れ仮面をつけたように構えることもなく、恥じらうこともない。カメラを前にしてとても良い顔でいてくれる。端的に言えば、そのような印象を抱いたのだった。
その日の撮影を終え、一緒に片付けをしているときに「次は沖縄で遺骨収集現場の撮影をしたい」と具志堅さんに申し出ると、二つ返事で承諾してくれた。私は胸を撫で下ろした。
ふとしたところから見つかる沖縄戦の痕跡
1ヶ月後、私は激戦地だった沖縄島南部の農道を歩いていた。
まず具志堅さんと一緒に集落や森の中を歩き回って、その時期に取り組んでいた現場を見せてもらうことになった。遺骨収集現場と一口に言っても様々なケースがあるようだ。耕作地の中の岩場の隙間にある縦穴や、農道の奥にある窪んだ空間、木々に覆われた緑地帯などを案内してもらった。
簡単な調査のつもりで歩いていると、ふとしたところから沖縄戦の痕跡が出てくる。民家と畑の裏にカートリッジの部品や点滴のような医療器具が見つかった。付近に手榴弾を点火させるためのピンや砲弾の破片が散らばっていたことを確認し、具志堅さんは当時の状況を想像する。南下する米軍と、それを迎え撃つ日本軍がこの大きな岩を挟んで攻防を繰り広げていたのかもしれない。日本軍は岩陰に隠れながら米軍の攻撃を凌ぎ、負傷した兵士の手当てや弾薬の補充をしていたのではないか。見つけた物品を手にして周りを見渡す具志堅さんは、現在という時間を飛び越えたように風景を見つめ、あり得たかもしれない沖縄戦の景色を想像していた。その姿は、同じ風景を見ているはずなのに私とはまるで違うものを見ているように思えた。そもそも具志堅さんと一緒でなければ、私は沖縄戦当時の遺物に気づくこともなくその場を通り過ぎていただろう。
こうやって具志堅さんと一緒に沖縄戦の痕跡の残る地を歩いていると、東京で会ったときの具志堅さんとはまた異なる印象を持った。一言でいうと生き生きとしていた。身体と頭が躍動しているというか、現場の様子を精緻に観察することに神経を集中させているようだった。私が撮影を通して具志堅さんから遺骨収集について学ぼうとするように、具志堅さんは目の前の現場から多くのものを学んでいるように見えた。
先にも書いた通り、私が興味があったのは具志堅さんと遺骨収集現場との結び付きのようなものだった。このとき、遺骨収集を撮影する上で現場そのものの重要性を確信することができた。そうであるならば、ここであらためて遺骨収集の現場がいかなる場所なのかということを確認しておかねばならない。