食料を得るために住民に武器を突きつけて脅した「食料強奪」。先にガマに避難していた住民を、陣地を構えるという理由で砲弾飛び交う野外に放り出した「壕追い出し」。泣き声を止めるため乳幼児を殺したり、方言を話したことによるスパイ嫌疑を理由に処刑が行われた「住民虐殺」。それらの悪行を行った日本軍の兵士は「国を守るためには住民は犠牲になってもかまわない」「住民の命より軍隊を優先」という論理でこれを正当化していた。

“集団自決”として歪曲された呼称

 中でもとりわけ凄惨な出来事として記憶されているのが、住民が自分たちの手で命を絶ったり家族同士が殺し合ったりした、いわゆる“集団自決”である。ひと思いに手榴弾で死んだ者、自ら火をつけて焼かれたり煙に巻かれて窒息した者、他に選択肢がなく家族に何度も殴打され切りつけられて殺された者。親子、親類、知人同士が殺し合うという、近代の戦争被害の歴史と照らし合わせても特異で悲惨な出来事である。その大半がガマの中で起きている。

ガマの内部。暗さ、湿気、閉塞感など、日常の生活空間とは異なっている

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 先に「いわゆる“集団自決”」と書いたのには深い理由がある。“集団自決”という言葉には「自ら命を絶った」というニュアンスが含まれるが、それは沖縄戦における犠牲者の実相にそぐわないからだ。そのため“集団自決”は「強制集団死」と併記されることが多い(*1)。

*1 「集団自決」や「強制集団死」という語彙が生まれた経緯に関しては、屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす記憶をいかに継承するか』(世織書房、2009年)に詳しい。1950年代ごろまでは「玉砕」という言葉が一般的だったが、沖縄戦の実相を記録した『鉄の暴風 現地人による沖縄戦記』(沖縄タイムス社編、朝日新聞社、1950年)の刊行以後、「集団自決」という呼称が一般化していく。1982年の教科書検定問題の際、その法廷闘争の中で国側の「殉国美談」による「集団自決」の解釈に対する対抗言説として、住民の自発性を否定した「集団死」という概念が構築された。さらに2000年代に入り日本軍の強制をより明確にするために「強制集団死」という概念が提起され、定着している。これらの語は沖縄戦を歪曲しようとする現実の政治課題に対する対抗言説として更新されてきた。いかなる背景のもと住民が犠牲となったか問い直し続けた結果といえよう。屋嘉比は前掲書において、ノーマ・フィールドが提起した「強制的集団自殺」という概念を検討し、さらなる問いを投げかけている。