映画『骨を掘る男』の中でも具志堅さんが「自殺じゃなくて殺されたんだ」と言う場面がある。見つかった遺骨の状況から、銃剣の引き金を足で引いて死んだと推察される日本兵に対して発した言葉だ。
「自殺/自決」という言葉を批判的に捉え直し、兵士の自発的な死ではなく当時の国家の教育によって「選ばされた死=殺人」であるという意思が感じられた。具志堅さんのその言葉は国家が免責されることを許さない。そして遺骨が放置されている現状に対しての怒りと焦りとやるせなさが言葉に宿っていた。
日本軍によって引き起こされた「強制集団死」
これと同じように住民たちの「強制集団死」も決して自発的に行われたのではなく、様々な力学が働いた結果起こった悲劇だ。その力学の主たるものは、日本軍の直接的な関与であり、日本軍の思想や戦前の教育にある。
「軍官民共生共死」を掲げた日本軍は、住民も官吏も兵士と同じように命をかけて国を守れ、という方針のもと住民の指導にあたっていた。米軍の上陸前からこの方針を徹底していた日本軍は、飛行場などの軍施設の建設作業に子供から年寄りまで動員した。集落によっては自宅を軍に提供して兵士を住まわせた例も多数確認されている。その過程で知った軍事機密を米軍に知られるのを恐れたことから、住民が米軍に投降することを許さなかった。住民には自決用の手榴弾、負傷して回復の見込みのない兵士には青酸カリ入りのミルクが配られた事実もある。これは前者の日本軍の直接的な関与に該当する。
後者の日本軍の思想や戦前の教育の影響のわかりやすい例を挙げるとすれば、当時の日本軍の「戦陣訓」という教えがある。「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり捕虜になるよりも死を選べ、という考えが根付いていた。さらに遡ると、沖縄の住民は皇民化教育を徹底された事実がある。皇民化教育とは、朝鮮・台湾などの植民地や沖縄において行われた日本文化への強制的な同化教育のことだ。日本語の常用、神社の建設や参拝、日の丸の掲揚、君が代の斉唱などを通じて日本国民であるという意識を植え付け、住民を教化して戦時体制に組み込んでいった。
米軍と日本軍という二つの暴力装置の狭間で行き場を失った住民たちは、これらの複合的な要因により、実質的に強制、誘導を伴う集団死を選ばされることになる。捕虜として生き残って軍隊の足手まといになるのではなく、進んで自らの命を断つよう様々な合わせ技を駆使して周到に死への道を舗装していたと言える。今も沖縄で「軍隊は住民を守らない」と語り継がれ、戦争に繋がりかねない教育について敏感に反応するのは、沖縄戦で起きたこれらの凄惨な出来事から学んだ根拠ある戒めである。
