私にとってドキュメンタリーの撮影とは待つ行為であり、目の前の世界や被写体のアクションに対してリアクションしていく行為だと思っている。しかし、漫然とアクションを待っていると撮り逃す。何か面白いことが起きてカメラを起動するも、すでに行為が終わり撮影しそびれる。誰もがスマホを持つ現代、あなたにも心当たりがあるはずだ。リアクションである以上、カメラは常に少しだけ遅れてしまう。だから、撮影者は被写体や目の前の出来事をよく観察して予測をし、自分が最適と思う場所にあらかじめカメラを置かねばならない。無数の可能性に開かれた未来に対して、撮影者はただ一つのカメラポジションとフレームを選び取るのだ。
遺骨収集を撮影することの特異さ
そんなことを考えながらいつものように撮影を続けていると、遺骨収集という行為を撮影することの特異さに直面した。まず初めに気づいたのは、カメラの録画をストップするタイミングがわからない、ということだった。
よくある撮影の場合、被写体の方が何かをしそうだなと感じるとカメラの録画をスタートさせ、その行為が終わってしばらく何も起こらなそうだと思った時にはカメラを止める。つまり、行為が始まる前に撮影を開始し、行為が終わった後に撮影を終えるのが基本となる。だが、遺骨収集を撮影していると、掘る行為は際限なく続き、どこが一区切りのタイミングなのか、終わりのポイントがよくわからないのだ。
大前提として、遺骨収集の作業には膨大な時間がかかる。何かしらの進展や変化が起きるまで、基本的には土を掘ったり掻き出したりするような単純作業が続く。運が良ければ遺骨が1時間くらいで出る時もあるが、5時間掘り続けても何も出ない日もある。その間、ずっとカメラを回すわけにもいかない。だが、カメラを止めた次の瞬間「あっ、何かある」と具志堅さんが言うかもしれない。映画の中で具志堅さんが「あと10センチ掘ったら戦没者と出会うことができるかもしれない」と言うように、土に鍬を入れるごとに戦没者の遺骨が見つかる可能性がある。カメラポジションを変えるときには、その都度、カメラを止めた瞬間に何かが起こらないことを願いつつ次のポジションへと動いた。
戦時中の物品や遺骨が出てきて気づいたこともある。
具志堅さんは遺骨を見つけると、じっと骨を観察し、それが身体のどの辺りの骨なのかを素早く言い当てる。私からすると、それが骨か石かも区別することができない。撮影を始めた当初は「え? どれが骨ですか?」「どうしてわかるんですか?」と逐一質問していた。そうすると石と骨の重さの違いや、骨の内部にある海綿状の存在、骨の部位などを教えてくれ、次に出てきそうなものも予測してくれた。「この骨が出てきたということは、もう少し掘れば◯◯部分の骨も出てきそうなんだけど」。そう言うと本当にその骨が出てきたりするのだ。