遺骨を見つけるために多くの時間と労力を割いているにもかかわらず、遺骨が見つからないことをポジティブに捉えることは矛盾しているようにも思えた。たとえ、そこで戦死者が出なかったということを証明する意義を差し引いたとしてもだ。だがそのことによって、私がさらなる興味を持ったのもまた確かだった。矛盾を抱え込んでしまう遺骨収集という行為に具志堅さんはなぜ長年向かい続けているのか。もっと具志堅さんと時間を共にすることができれば、その理由がわかるかもしれない。このとき私には、今自分が感知できていない未知なるものに少しだけ触れている感覚があった。それがなんなのかを知るためにも、遺骨収集現場において具志堅さんとカメラとの固有の関係を取り結び続ける必要があった。

終わりのない行為

 映画には入らなかったが印象に残っている場面がある。その日は私も具志堅さんと一緒になって遺骨収集の作業をしていた。以前、具志堅さんが遺骨を見つけた場所に行き、遺骨が出てきた場所から数十メートル離れた場所を掘っていた。3時間ほど作業を続けて、今日はぼちぼち終わりにしようか、と手を動かしながら話していたときのことだった。

「具志堅さんの作業って野球のバッターでいうと何割ぐらいですか?」

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「あはは(笑)、打率でいうと?」

「はい」

「うーん、10回やって1回ヒットあるかなぐらい」

「一生懸命やっても1割バッターってことですね」

「うん……。でもさ、いつも思うのはあと10センチ掘ってればもしかしたら見つかるかも、っていうさ」

「自分もまさに今それを感じていて、終わりどころがわからないんですよ」

「わかんないよねえ。でもここで亡くなっているのは確実なんだと。じゃあその人の破片以外の骨はどこにいったんだと。ずっとその繰り返しなんだよね」

「どこが区切りっていうのがわからないというか……」

「うん、区切りっていうのがないし」

  区切りがない。終わりがない。そんな活動を40年繰り返し続けている。

 具志堅さんはこれまでに400体以上もの遺骨を見つけてきたが、今なお沖縄には収集されず残されている戦没者の遺骨が数千体あることがわかっている。具志堅さんが戦没者の遺骨に向き合おうとする様子を撮る傍らで、私は薄々気づき始めていた。遺骨が見つからない無数の戦没者のうちの一人に、私の親族が含まれていることを。

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