学校の成り立ちの資料に目を通してみると…

 さて、どうしたものか。初手にしてもう詰んでしまった。次の手がかりはない。途方に暮れながら校内をウロウロと歩いていると、30代くらいの若い男性教師が物珍しそうに話しかけてきた。アイザックという名の男性教師は、IT教育を担当しているという。

 事情を説明すると、うーんと頭を悩ませながら「ついて来い」という。パソコン教室の脇にあるアイザックの執務室に通されて待っていると、何かをプリントアウトしてくれた。

 手渡されたその資料には「HISTORICAL BACKGROUND」と大文字で書かれ、学校の成り立ちが記されていた。今、一番知りたかった情報である。むしろ、なぜこうした公式の資料を見せてもらうべきだと自分で思い至らなかったのだろう。アイザックに感謝を告げて、すぐに目を通してみる。するとそこには興味深い事実が書かれていた。

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 資料によれば、このNgaru Girls High Schoolは1982年に「共学として」始まったらしい。16名の男子生徒と7名の女子生徒、合計23人からスタートした。なるほど、かつては共学だったのであれば、この学校からケニア人のランナーたちが日本に留学した可能性は残されている。

 しかしその望みも、その後に続く文章であえなく潰えた。読み進めると、「1989年に女子校になった」と書かれていたからだ。共学として運営されていた期間はわずか7年間しかなく、来日したランナーたちが高校生だった年とは時期が合わない。

 例えば、ワンジルは1986年生まれで共学の最後の年の1988年時点では2歳だ。日大で走ったギタウは1987年生まれで1歳、1991年生まれのベンジャミンに至っては、共学時代にはまだ生まれてさえいない。

 彼らがこの学校で陸上をしていたという話は、時系列的に矛盾する。どうやらこの学校は、やはり私が探しているガル高ではないらしい。帰り際、念のためアイザックに、この学校の他にガルと名のつく高校はあるかと尋ねてみたが「ケニアにはないはずだよ」と一蹴された。

 謎は深まるばかり。一体、これまでガル高出身とされてきたランナーたちは、どこから来たのだろうか。

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