県外から優秀な選手をスカウトするのも目的は勝利なのだから、留学生を受け入れるのと根幹の動機は同じだ。県外からのスカウトにも学費や寮費を免除するための予算が必要であり、公平、不公平の観点からも留学生と変わらない。
つまり、国籍に限らず高校スポーツに勝利至上主義は存在している。もし勝利至上主義を批判するのであれば、日本人を含んだ高校スポーツ全体について論じるべきなのに、なぜ留学生だけが問題視されるのだろうか。
留学生だけを特別に槍玉に挙げる風潮への違和感
結局のところ、この議論の多くは冷静な制度論というよりも感情論に近い。目の前で日本人選手がケニア人留学生に抜かれて涙を流す、その映像が拡散されると「かわいそうだ」「ケニア人には勝てない」という声が湧き上がる。
これは「勝てなくて悔しい」という感情が起点になっており、その捌け口としてケニア人ランナーがスケープゴートにされているだけのように見える。
私は、高校スポーツにおける県外スカウトにも、留学生の起用にも反対ではない。むしろ、高校生の段階でさまざまな選択肢があるべきだと思う。
義務教育ではなく、自らの意思で進む道として高校を選ぶ以上、どの学校を選択するか、最低限の授業時間は確保した上で、学問とスポーツのバランスをどう決めるかは個々人の自由だと思う。自分の可能性をスポーツに見出し、その道で挑戦し、将来につなげていくのは自然なことだ。
もちろん、勝つためなら何をしてもいいわけではない。勝利のために体罰やいじめが認められるはずはない。だが、勝利を目指して最大限の努力を重ねること自体は、決しておかしなことではないと思う。
勝利以外にも友情や成長といった価値は確かに存在するが、それでも「勝つこと」を目的に真剣に取り組むことは、スポーツに限らず社会のあらゆる領域で当たり前に行われている営みでもある。
だからこそ、留学生だけを特別に槍玉に挙げる風潮には違和感を覚える。勝利至上主義が高校スポーツ全体に根を張っている以上、批判の矛先を一部にだけ向けるのは筋が通らないように思うのである。
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