コンテストは出場者の人生を翻弄していく。女子大生は惜しくも入賞を逃したが、東京の取材陣からたくさん名刺をもらい、ヌードモデルの仕事が舞い込んできた。
もっとも当の本人はいたって吞気だった。就職活動を控えていたので、彼女は地元静岡で一番給料が高くて夕方5時には帰宅できる消費者金融の入社試験を受けてみた。
本人は受かるつもりだったが、甘えんぼうのような語尾を伸ばすしゃべり方がまずかったのか、落ちてしまった。
そのころ、東京でヌードモデルの仕事があった。手取り3万円。女子大生の初任給が14、5万円の時代、これは大きかった。
最初の仕事は「週刊ポスト」
静岡県立大学生の最初の仕事は、週刊ポストの女子大生ヌードだった。
東京へはヌード撮影の仕事のたび、静岡から新幹線で上京した。
「最初に東京きたときって、けっこう人の家を転々としてたんですよ。ある人の紹介で、ホストの家に3日間泊まっていいよって」
「ホストって歌舞伎町のホスト?」
「うん。紹介されて。『京子ちゃん、泊まるところなかったら、知り合いのホストが時間帯が違うから』って。わたし、週5はグラビア撮影だったんで仕事終わるのが夜10時11時じゃない。ホストはその時間に1回も帰ってこないから会うこともなくて。だから、“ありがとうございます、助かりました。お金ないんで4000円置いておきます”って書き置きを残して。わたしってそういうのきちんとしてるじゃん。どんなホストかも会ったことないからわからないまま。ホストの部屋は飯田橋あたり。だから、そのあと東京に引っ越してきたとき、飯田橋とか神楽坂に住もうと思ったもん」
そのころの80年代半ばは、AVという新たなメディアが誕生したときだった。