「ビデオに出るときは、芸名なんてなくて、『女子大生真理子』、『人妻淳子』とそのときの役柄によって名前を変えてた。当時はみんなそうだったよ」
中村京子の芸名は仕事をはじめて3日目、仕事場でカメラマンが即興で考えた、ごくありふれたものだった。
中村京子のAV初出演は、1982年VIPから発売された『VIP劇画シリーズ静香・濡れてオナニー「覗かれて」』だった。
陵辱系官能漫画の笠間しろうの挿絵と、中村京子のヌードが合体した30分物だった。
「スライドみたいな絵とわたしを組み合わせたビデオだったんですよ。胸触ったり、オナニーするときはわたしが、アアアンってやるの。当時はからみがなくてオナニー物全盛だったんですよね。代々木忠監督の『ザ・オナニー』がブームになってわたしも最初の5、6本はオナニー物しかしなかった」
はじめてからみがある⋯
1983年、はじめてからみがあるAVに出演した。
「わたしがはじめてからんだのはセーラー服物で、速水健二君が相手役でした」
当時は人気AV女優というのも出現前で、誰々が出演しているから売れる、という時代ではなく、モデルの出演料は一律だった。
だが、中村京子人気は凄まじく、ピンク映画でも、愛染恭子主演『愛染恭子の未亡人下宿』と中村京子主演『巨大バスト99 Dカップの女』が日活の正月映画になったほどだった。
中村京子をはじめヌードモデルたちは、皆フリーで、人脈や情報をもとに、仕事を取ってくる時代だった。
「ヘアメイクやスタイリストもつかなかったから、自分でお化粧してた。自分で重い荷物持って現場に行ってたし」
AV男優という職業もまだ確立される前で、雑誌編集者や映画俳優が兼業で務めていた。