「五分前のことを忘れようが、私の名前を忘れようが、そんなことはどうでもいい。」――。認知症が進行していく母を前に、かつてはイラ立ち、責めてばかりいた阿川佐和子さん。

 そんな阿川さんが「生きているだけでありがたい」と、今の母を受け入れ、介護を楽しめるようになった心境の変化とは? 新刊『年とる力』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

阿川佐和子さん ©文藝春秋

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認知症になっても母は必死に生きている

 母を観察していると、全体的にはポワンとしているのに、ときに鋭い反応をしたりします。私の運転する車の助手席に乗っているとき、信号が黄色に変わると「黄色よ!」と叫んだり、歩道を子どもが歩いていると、

「危ない、子どもがいるわよ」

 と注意喚起してくれたりします。面白いことにはよく笑うし、ときどき膨れたり驚いたりと、感情も豊かです。いっぽう身体を見れば、爪は伸びてくるし、髪の毛には白髪が増えるし、口の上には着々と白いひげも生えてきます。

 しっかりしていた昔の母とはあきらかに違うけれど、でも母の身体はまちがいなく生きているのです。母の身体のあらゆる細胞が、怠けることなく必死に働いているのです。

 そのことに気づいたとき、私は思い直しました。五分前のことを忘れようが、私の名前を忘れようが、そんなことはどうでもいい。

 今現在の母が身体の隅々まで一所懸命生きようと働き続け、感情をたくさん動かして、見るもの聞くもの感じるものに反応しようとしているかぎり、母はまちがいなく生きている。生きていることだけでありがたいと思わないと、もったいないぞ。

 昔の母はもういないなんて悲観している場合ではない。今の母と付き合うことをこちらも楽しまなきゃ、それこそあとで後悔することになる。今日が楽しければ、それでじゅうぶんじゃないか。そんな心境に至ったのです。