むしろ若い頃のほうが、将来について不安になったり夢を描いたり、どうせ無理だろうと悲観したり僻んだりすることが多かったように思います。
「誰と結婚するんだろう」
「どういう人生を歩めば幸せになれるのか」
「私には何の才能があって、どんな魅力があって、どの道を選べば人に認められるのかしら」
友だちがやりたいことをさっさと見つけたり、進学の方向を決めたり、あるいはステキな恋をしていたりすると、私だけが置いてきぼりを食らったような気分になって焦ってばかりいました。
「なんでもいいから一歩踏み出してみなさい」と助言されるたび、「今から始めても、もう遅い」と自分で決めつけて、結局、なにも動き出さない。そしてまもなく、「動き出せばよかった」と後悔する。そんな意気地のない、僻みやすい人間でした。
「なすがまま」の精神
三つ子の魂百まで。いまだにそういうダメな性格は私の中に居座っています。物事がうまく運ばなかったり失敗が重なったりすると、ときどきそういう嫌な性格が頭をもたげてくることもあります。
でも若い頃に比べると、「なんとかなるさ」といういい加減さで乗り切ることが多くなってきた気もします。
「なんとかなるさ」と「なるようにしかならない」と「そのうち忘れる」をミックスし、シャッフルし、愛想笑いを振りまいて、まあ、その過程において必死になる瞬間がないわけではないけれど、本質的には、「なすがまま」の精神でいることが、性に合っているのかもしれません。