サッカーW杯で決勝トーナメント進出を逃した韓国代表。帰国当日の空港は、怒号とヤジに包まれた。国民の怒りは収まらず、「無能さやずさんな運営の原因を見つけるため」として韓国政府がサッカー協会への特別監査に乗り出す事態へと発展している。この惨敗の責任を取り、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督は辞任を表明。非難の的となっているが、かつて彼は、韓国サッカー界に刻まれた「最も輝かしい歴史」の中心にいた。韓国が世界を驚かせた2002年の日韓W杯である。
現在の惨劇からさかのぼること24年、韓国サッカーが手にした「遺産」の原点とは。韓国のサッカー事情に詳しい吉崎エイジーニョ氏の著書『なぜ日本サッカーは強くなったのか “神とサッカー”から紐解く日本代表の欧州化』(徳間書店)より、一部を抜粋して紹介する。(全3回の3回目)
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韓国は、2002年のワールドカップで歴史上数少ない「キリスト教文化圏以外でのベスト4入り」を果たした国だ。オランダ人監督フース・ヒディンクが「儒教の国」にやってきてこれを成し遂げた。2001年1月から大会までの期間だ。
日本の躍進への「大いなる焦り」
2002年のワールドカップに向けて、当時の韓国には「大いなる焦り」があった。共同開催国、日本の躍進だ。1993年にJリーグ開幕後、選手の育成システムを確立し、クラブのアカデミー育ちのいい選手が輩出されるようになってきた。
高卒選手がプロに行くシステムが確立され、日本ではいわゆる1979年生まれの「黄金世代」が、1999年のナイジェリアワールドユース(現U-20ワールドカップ)や2000年のアジアカップ、シドニーオリンピックでの成績で多くの経験を積んでいた。その結果、すべて韓国を上回っていた。
1996年に2002年のワールドカップの共同開催が決まり、世界が注目する前で日本はベスト16、韓国だけがワールドカップ史上初の開催国グループリーグ敗退という事態は、是が非でも避けなければならなかった。


