佐川急便・渡辺社長と稲川会・石井会長の出会い
佐川急便の渡辺広康社長と、当時、稲川会横須賀一家総長であった石井隆匡との出会いは、1979年。
石井は、1970年、銀座七丁目のクラブ「花」の経営者、庄司宗信と知り合った。
石井は、人あたりがよく頭の回転のすばやい庄司が気に入り、クラブ「花」の上客の1人となった。渡辺も、渡辺運輸を経営していたころからクラブ「花」に顔を見せていた。
庄司はその店で、渡辺に石井を引き合わせたのである。
「渡辺さん。横須賀の親分さんです」
石井は、白髪であった。一見優男で、頭も切れそうである。渡辺は、不思議な気がした。
〈これが、本当にヤクザか。銀行の頭取と紹介されてもおかしくない〉
石井は、それからクラブ「花」で渡辺と顔を合わせると、いっしょに飲むことが多くなり、親しくなっていった。
ところが、1980年4月7日、東京地裁で、石井に、「韓国賭博ツアー事件」の判決が下った。石井は、1976年9月、東京都内の会社社長らを韓国の釜山市内のホテルへ誘い、トランプ賭博「バカラ」をさせた。帰国後、負けた客たちから厳しい取り立てをしたという容疑などで、1978年11月、警視庁捜査四課に逮捕されていた。
判決は、求刑6年に対し、5年の実刑であった。
石井は、1981年8月、長野刑務所に服役した。
このため、渡辺と石井とのつながりは、しばらく途絶える。
2人の仲がぬきさしならぬ関係になっていくのは、石井が1984年10月8日に出所したのちのことである。
石井の野望「表社会でも、活躍したい」
渡辺は、佐川急便の創設者の佐川清が京都の祇園でするように、東京赤坂などの花柳界で豪遊した。佐川が祇園の舞妓を残らず買いきって遊び、全員に着物を買ってやったように、東京赤坂などの花街で、その花街の芸妓を買いきって豪遊、芸妓たちに着物を買い与えた。
が、まだ石井と飲み歩く前は、渡辺もかわいげがあった。ちょっと金を儲けた人のいい金持ちが、単純なお大尽遊びをしている、という程度に周囲からは受け取られていた。石井と飲み歩くようになってからは、渡辺の態度が変わった。まず、ホステスへのチップの渡し方が変わった。それまでは、テーブルの下から、そっとチップを渡していた。が、財布からこれみよがしに札びらを切るようになった。
石井は、出所してまもなく、横須賀の自宅に庄司宗信を呼びよせた。
石井は、庄司にいった。
「おれは、ムショのなかで、よく考えた。これからは、いつまでも裏社会だけで生きていたくはない。表社会でも、活躍したい。そのために目をつけているのは、不動産と株だ。かならずや不動産と株の時代になる。おれも、それを手がけたい。そこで……」
