佐川急便の債務保証が効いた土地買収

 1984年10月21日、北祥産業は、東京佐川急便の債務保証により、第一相互銀行(のちの太平洋銀行)から5億5000万円の融資を受けた。

 その資金を、ただちに岩間カントリークラブの土地買収にあてた。

 石井は、さらに東京佐川急便の債務保証により北祥産業がゴルフ場開発資金として借り入れた金を、実質的に石井が支配する「佳仙産業」をはじめとする、別会社に貸し付けさせた。

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 石井は、1985年10月に、稲川会二代目会長に就任した。石井会長は、1986年2月、不動産売買を目的とした「北東開発」を設立している。石井との関係をカモフラージュするために、資本金調達を東京佐川急便の早乙女潤に依頼した。早乙女は、代表取締役に就任したが、実際のオーナーは石井であり、経営は庄司が任されていた。

 当初、北東開発の事務所は東京佐川急便に置かれていた。が、4月には、千代田区平河町のビルの一室に移転した。

 1986年5月、北東開発は、北祥産業から、ついに岩間カントリークラブの虫食いの土地を購入した。

 半年後の12月2日、石井会長と渡辺社長の話し合いにより、東京佐川急便に太平洋クラブが所有する岩間カントリークラブの開発会社である岩間開発の全株式600株が売却された。20日後の12月22日、東京佐川急便から北東開発に岩間開発の全株式が譲渡された。

 岩間開発も、東京佐川急便の債務保証のもとにノンバンクから資金融資を受け、岩間カントリークラブの開発を進めた。

写真はイメージ ©AFLO

 石井は、並行して別のゴルフ場開発も手がけた。

 1986年2月から、北東開発の事業として、茨城県筑波郡谷田部町(現つくば市)の谷田部カントリークラブの開発に乗り出した。

 しかし、地権者の同意取りつけに難航したうえに、地価の高騰も手伝って、放置せざるをえなくなった。

 谷田部カントリーのゴルフ場開発は、頓挫した形となった。北東開発が東京佐川急便の債務保証でノンバンクから融資を受ける際の名目にすぎなくなった。

 1987年6月、すべてのゴルフ場用地の買収が完了した。岩間開発は、県に事前協議の申し出を提出し、無事に同意を得ていた。

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