石井は、鋭い目になっていった。

「そのための会社を、つくりたい。おまえに、その社の表向きの代表に座ってもらいたい」

 庄司は、いわゆる「企業舎弟」として活躍する決心をした。

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フロント企業「北祥産業」の立ち上げ

 このころクラブ「花」は倒産し、庄司は失業の身であった。

 庄司は、さっそく不動産情報の収集に専念した。

 そのうち、庄司の耳に興味深い情報が飛びこんできた。

「東京佐川急便が、配送センター用地を物色している」

 さらにくわしく調査した結果、東京佐川急便が特定の暴力団と結びついていないと判断した。

 庄司は、石井と渡辺との席を料亭にセットした。

 その席で、石井は、渡辺から経理担当常務をつとめる早乙女潤を紹介された。

「わしの右腕と思って、かわいがってもらいたい」

 1985年2月、石井は、不動産取引を目的とした「北祥産業」を、いよいよ千代田区麴町三丁目に設立した。石井は、庄司を、かねての考えどおり、代表取締役に据えた。

 庄司は、代表取締役に就任するや、水商売時代からの長い髪の毛を切り、実業家にふさわしく短くした。

 石井は、庄司に物静かに語った。

「義理がけ博打のように、同じ顔触れで金が行ったり来たりしても、利益にはならん。これからは、事業拡大することも考えないと……。そのために、これから、次々と企業を設立していく方針だ」

 石井は出所以来、総長賭博に出ることもなく、競馬、マージャンも一切控えた。ラスベガスでのバカラ賭博が、唯一の例外といえるものであった。

 3月、北祥産業は東京佐川急便による大田区内の配送センター用地買収の仲介を手がけた。

 不動産の仕事は、順調に進んでいった。

渡辺が石井につくった「借り」

 1985年6月、稲川会の石井は、自身が実質的オーナーである北祥産業を、千代田区紀尾井町のマンションに移転した。このとき、石井は、渡辺に、マンション名義の連帯保証人となってもらった。そのうえ、主要取引先欄には「佐川急便」と書きこんだ。

 石井は、庄司にいった。

「渡辺さんには、それだけのことはしている。文句はいわせない」

 石井は、その年の春、庄司から頼まれていた。

「渡辺さんが、ブラックジャーナリストに、女性問題を書きたてられそうになり、あわてている。

 ぜひ抑えてもらいたい、と駆けこんできている」

 石井は頼みを聞き入れ、渡辺のゴシップ記事の掲載を差し止めた。