旧知の人物の説得に稲本の反応は…

 石井と三神は、1964年ごろに知り合った。若いころから信心深い石井は、京都、奈良の神社仏閣をよく訪れた。ある人を介して、三神は京都に訪れた石井と知り合った。

 会津小鉄会と稲川会が1983年10月に親戚付き合いをするようになり、ますます親交を深めた。

 三神にとって石井は、父親にも匹敵する存在であった。三神の事務所には、石井の写真が飾ってあるほどである。

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 石井も、三神のことをかわいがり、「ターちゃん」と呼んでいた。

 石井に頼まれた三神は、ただちに日本皇民党に電話を入れた。

「稲本総裁、運動を中止してもらいたい。じつは、石井会長に依頼を受けたんです」

 稲本は旧知の三神からの依頼にも、首を縦に振らなかった。

 稲本は、逆に三神に訴えた。

「三神さん、わしらが四国の田舎から出てきているのは、伊達や酔狂で出てきたわけやない。金のためやない。そんなゲスの考えで動いているわけやない。わしらは田中さんを裏切った竹下が、総理大臣になることが許せない。国会議員であることが、許せん。竹下は明智光秀だ。島根に3人送りこんで、竹下登の名前で立候補させたろかと思っとる。そしたら竹下の票が四分の一に減る。落選しよるやろ」

 稲本は、取りつく島がないようにまくしたてた。

 三神は、とりあえず電話を切った。

 すぐさま、石井に電話をかけ、事情を説明した。

 石井は、東京佐川急便社長室に電話を入れた。

「渡辺さん、日本皇民党は、本当に竹下を嫌っている。田中を裏切った竹下が、国会議員であることも嫌だといっている。手に負えないよ。あなたは、あんな連中と付き合わないほうがいい」

 石井は、手を引きそうな口ぶりであった。

 渡辺は、あわてて、再度の依頼をした。

「稲川会会長であるあなたしか、いない。どんなことをしても、説得してください」

「石井会長と会っていただきたい」に即答した稲本

 石井は、再度、三神に電話を入れた。稲本説得を依頼した。

 大行社の当時理事長に就任していた三本菅啓二が筆者に語ったところによると、渦中の稲本総裁に、石井会長の指示により面会することになった。

 大行社は稲川会傘下の右翼団体である。

 三本菅は、大阪のホテルで稲本総裁と会い、切り出した。

「わたしが、こうやって来たのは、わかると思いますけど、ある人の使いで来たわけではない。器量不足かもわからないけれど、やはり普通であれば、稲川会のほうから来たんでしょうけれど、お互いに右翼という関係なので、稲川会では、右翼は、わたしら大行社ですので、わたしが来ました」

 稲本総裁は、きっぱりといった。

「これまで、誰が来ても断っている」

 三本菅は、さらにいった。

「とにかく、石井会長と会っていただきたい」

 稲本総裁は、即答した。

「わかりました」