現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。ゆかりの城として今回訪れたのは、岡山県高梁市の「備中松山城」だ。

二層二階の層塔式天守。内部には歴代城主の資料展示も ©︎今泉慎一

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主君と共に散らなかった鹿之介

 1577(天正5)年、信長の命で中国方面軍を任された秀吉は西播磨の上月城を攻め落とす。対毛利の最前線のこの城に配置されたのが尼子勝久、そして忠臣・山中“鹿之介”幸盛だ。

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尼子勝久役の渡邉蒼(左)と山中幸盛役の廣瀬友祐(大河ドラマ公式Instagramより)

 故郷を追われること約10年。流れ流れて織田軍に加わった二人は、「ついに憎き仇敵、毛利を討つ時がきた!」と、よほど意気上がっていたに違いない。だが、別所長治が離反したため、秀吉は上月城を捨て三木城へ。毛利軍の猛攻の前になすすべなく落城。尼子勝久は自害となる。

 この時、鹿之介はともに自害したのかと思いきや、毛利軍に囚われてしまう。そして連行されていったのが、毛利輝元が本陣を敷いていた備中松山城だった。

全山要塞化した要害・備中松山城

 備中松山城といえば、全国で十二しかない現存天守のひとつがある。高さは約11mと現存最小だが、山城では唯一で、標高430mと最も高い場所にある。もっともこれは、江戸時代中期の1683(天和3)年に完成したものだ。

 つまり、戦国時代と現在とでは姿を変えていることは間違いない。だが、1575(天正3)年に三村家を滅ぼしこの城を手に入れた毛利輝元は、大規模な改修を行なっている。この時、城のある臥牛山一帯に数々の出丸を設け、全山を要塞化したという。

麓から見上げる備中松山城

 比高(麓からの標高差)は350m。眼下に大河・高梁川と城下町を見晴らす要害へ。毛利家時代の息吹を感じに、城内へと足を踏み入れてみよう。