城の奥にまだ城が隠れている

 改めて地図を見てみよう。「小松山城跡」とあるのが、天守のあるあたり。その先の尾根にも遺構が続いている。

備中松山城地図(現地案内板より)

 築城当初の備中松山城は「大松山城跡」のほう。となれば行くしかない。後曲輪から急坂を降ってゆくと、ほどなく堀切。贅沢にも石垣造りだ。サイドに回るとそれがバッチリわかる。

堀切を小松山城側より
堀切を側面より。奥が小松山城
堀切外側から

 この堀切が、狭義の備中松山城の北端だ。先を目指し進む。しばらくは自然地形で、比較的傾斜もなだらか。ゆるゆると登っていくと、前方に石垣が見えてきた。縄張図では相畑城戸跡とあるあたりだ。

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斜面の上端のみ低い石垣が見える

 ここも出丸のひとつだろう。その先は土の城らしい遺構が次々に現れる。土塁を越え、切岸をかわし、堀切を突破すると天神の丸跡だ。

土塁の正面に切岸。横に迂回する

 天神の丸の本丸内には見事な礎石や石段跡が残っており、周囲にも巨石が散らばっている。ただしここには明治初期まで天神社があった。これらはその名残か。

天神社跡

タイプの異なる二つの水の手

 標高487mのここが臥牛山の山頂だが、まだ先がある。少しくだり鞍部を経て大松山城へ。途中、右手に大きな平地があり、巨大なプールのような方形の凹みが見えてきた。大池だ。

大池。訪問時は発掘調査中だった

 長辺23m、短辺10m、深さ4.3mで総石垣造。山城には極めて稀な規模と構造の水の手だといえる。慶長年間(1596~1615)の絵図にはあるが、それ以前の戦国時代は不明だ。

 大池を過ぎ、尾根道を再び登るとついに大松山城だ。小松山城から約600m。その名に反し、広さは小松山城の半分以下だ。中央の窪地を挟むように、本丸と二の丸が並んでいる。

大松山城の縄張図(現地案内板より)
本丸と二の丸間の凹み

 窪地には立派な石造の井戸が現存している。広さもあるので、この部分も一つの曲輪として機能していたのではないだろうか。

大松山城の井戸。要石のような巨石が見える

 尾根伝いに曲輪が並び、城域内には堀切はあるものの土塁もなくやや構造的に甘い印象。ただし、両サイドは急斜面で、加工したような巨石も散在していたので、かつては多少の石垣は築かれていたのかもしれない。先ほど見た相畑城戸跡のように。

大松山城の側面