こうして山口への疑いは晴れ、事件から2日後の2月24日に自由の身となる。素性調査の結果、山口が茨城の中流農家出身で、地元の知り合いに金を貸すなど金銭的に困窮していたとは思えない状況や、八宝亭で働き始めたのも生活資金のためではなく、将来独立し中華料理店を開くための修行だったことも警察が彼をシロと考えた理由だった。
実際、山口は実家から仕送りがあるため給与はいらないと店主に申し出ていた。
「私の推理」と題した手記まで新聞に掲載
拘束から解かれた山口は積極的に捜査に協力した。全国指名手配となった太田のモンタージュ写真作成には「世話になった旦那さん一家の悔いを晴らすためには」と寝る間も惜しんで情報を提供。
2月28日の新聞に掲載された写真から目撃情報が集まり、該当の女性が事情聴取される際には嫌な顔一つせず警察に出向き、太田本人であるか否かを証言した。
さらには新聞記者の取材にも快く応じ太田に関する情報を提供。やがて新聞各社は特ダネ欲しさに山口を取り合うようになり、中には「私の推理」と題した山口の手記を載せる新聞まで現れる。
そこで、山口は〈“男”が私に極力顔を見せまいとする態度から推して、一度や二度は八宝亭に来たことのあるものではないか〉〈“男”が女に比べて都会風の服装をしている点から見て、ヤボったい田舎女を凶行の手先に使い、今は女と別れ別れになって逃げているのではないかと思う〉などと見立てを述べた。まさに「時の人」である。
が、この後、事件は予想外の方向に展開していく。
