海辺に残るペリー上陸の跡

 そんな海沿いに、「ペリー公園」と名付けられた公園があった。

 公園の真ん中には、伊藤博文が揮毫したというペリー上陸記念碑が高々と鎮座している。そう、久里浜という町は、幕末にはるばる日本にやってきたペリー提督が上陸した町なのだ。

 

 あれ、でもペリー御一行、やってきたのは浦賀ではなかったか。小学校の教科書にだって、「浦賀沖に来航」などと書いてあったような記憶があるけれど。

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 それに浦賀駅を訪れたときにも、町のあちこちでペリーだ黒船だと盛んにアピールしていたではないか。なのに、久里浜に上陸記念碑が。

 そのナゾは、ペリー公園の中にあるペリー記念館の展示を見て解けた。

 浦賀沖に停泊し、幕府に対して盛んに大統領からの国書を受け取るよう迫ったペリー御一行。最初は抵抗していた幕府も国書受け取りを決定し、あわてて応接所を設えたのが久里浜だったのである。

 

 そもそも久里浜は、江戸時代の初めまでだいぶ内陸まで海が入り込んでいた。それを砂村新左衛門という人物が埋め立てて新田を開拓。三浦半島の端っこの小さな農漁村として秘かに歴史を歩みはじめていた。

 そのためか、浦賀よりも浜が広々としていて、また奉行所なども置かれていた浦賀ほどに暮らしている人も少なかったに違いない。

 

 当時の日本人は外国人、特にアメリカ人など見たこともなかった。いらぬトラブルを防ぐため、またそれなりの規模の応接所を設けるため、浦賀から岬ひとつ隔てた久里浜に白羽の矢が立ったのだろう。