今では明るく難聴について発信する難聴うさぎさん。しかし子ども時代は、自分の障がいを周囲に認識されることを避けていました。その心境を変えたきっかけは……インタビューの第2回は思春期の葛藤や悩み、そして人生の転機についてうかがいます。

難聴うさぎさん ©文藝春秋 撮影・細田忠

小学生時代の記憶に残る「嫌だった言葉」

――学生時代、聴こえないことで一番苦労したことは何でしょうか。

難聴うさぎさん(以下、うさぎ) 英語の授業が全く分からなかったです。あとはオーディオプレイヤーを使った、国語の聴き取りテスト。生身の人の声なら口の動きで分かるけど、機械の声は分からない。あとは、チャイムや校内放送も分からなかったです。

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――学生の頃、言われて嫌だった言葉はありますか?

うさぎ 小学校1年生で「耳が遠いからおばあちゃん」って言われたことですね。

 でも「おばあちゃん」って呼ばれても「聴こえないからわからない」というフリをしてやり過ごしました。

――強いですね。幼い頃から積極的な性格だったんですか?

うさぎ けっこう積極的な方だったかもしれないです。母が「あなただったら何でもできるわよ」と楽観的だったし、家族からも「聴こえないから無理」と言われるようなことがなかったからかもしれません。電話ですら、ワンコールの合図を送りあう方法を編み出して「わたしにも使える」と感じていました。

左足の手術と斜視

――子ども時代に左足の手術もされてるそうですが。

うさぎ 小学校1年生のときに左足を伸ばす手術を受けました。生まれつき左右差があったので、左足の骨を切って、骨と骨の間に強制的に新しい骨を作るんです。それでまる1年間はギプス生活でした。

(本人提供)

――斜視の手術もされているんですね。

うさぎ 斜視は手術をしたけど治らなくて。もう1回手術することになったんですけど、 2回目の手術では当日の朝に、なぜか突然治っていて中止になりました(笑)。でもその後も時々、球技をやっているとボールが2つ飛んできたり、目の前のペットボトルが2つあるように見えたりして。

 ただそれも2つを1つにするように、頑張って見え方をコントロールしていたら、7、8年かけて2つに見えることもなくなりました。