レントゲンを撮ってみると、左肺の肺門リンパ腺もピンポン玉の大きさにまで膨れあがっている。腫瘍だ。つまり肺がんにもなっていた。

「あなたは腫瘍ができやすい体質ですから、早急に治療しなければいけません。この程度なら、1か月半くらいで治るでしょう……」

 担当医からはそう言われたらしい。

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両親には余命3か月と告知されていた

 でも、本当の病状は、両親にしか知らされていない。

「ひょっとしたら、2か月もたない可能性がある。もっても3か月。全力を尽くしますが、最悪の事態も考えておいてほしい」

 これが真相だった。

 当時は、本人にはがん告知をしない時代。それは死を宣告するのと同じ意味だから。

 パパにも詳しい病状は伏せられた。本当は「ステージ4」の末期の肺がんで、余命3か月。おじいちゃんも、おばあちゃんも、さすがにパパ本人には余命3か月だなんて言えなかったみたい。

 

 パパがママと赤ん坊の私を連れて実家に顔を出すたびに、おばあちゃんは「辰夫、体だけは大事にするんだよ」と泣きながら訴える。帰り際に、私たちが乗った車が見えなくなるまで、おじいちゃんも、おばあちゃんも悲痛な表情で手を振り続ける。

「なんだか、おかしいぞ……俺は死ぬのか」

 パパもそう思わざるを得なかったそうだ。

幸せの絶頂の裏にあった不安

 当時のパパは“夜の帝王”の異名を持つほどの遊び人だった。

『夜遊びの帝王』『女たらしの帝王』なんて、ズバリそのままのタイトルの主演映画もあるくらい。

 毎晩のように遊んでいた銀座のクラブで、ママとも出会っている。当時モデルをしていたママはバイトでクラブに出ていたらしく、「ヴィッキー」なんて呼ばれるほどの人気者だった。

梅宮アンナと母・クラウディアさん ©文藝春秋 撮影・今井知佑

 そこへ突然、パパがやってきた。ママの顔を見た瞬間、パパは「ビビビッ」ときたらしい。ママも同じで、お互いに一目惚れというやつだ。私が大きくなってからも、ふたりは出会った瞬間のことを振り返ってはよく「あのとき、スパークした」なんて嬉しそうに話していた。