モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナ。なぜ彼女は、数々の苦難や世間の批判にさらされながらも、自分らしく生き続けることができたのか。そして、梅宮アンナがたどり着いた人生観とは何だったのか。

 梅宮アンナが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、父・辰夫さんとのエピソードを抜粋してお届けする。

 

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めちゃくちゃな治療法

 パパは、そこから180度、生活態度を改めた。

 あれほど好きだった夜遊びは一切断ち切り、仕事が終われば真っすぐ家に帰る。毎日浴びるように飲んでいたお酒もほんの一口だけ。

「タバコは肺に悪いから」と、紙巻きからパイプに変えたとか。いやいや、吸い続けるのはさすがに「どうなの?」って気もするけど。

「僕は役者だから、できれば体に傷をつける切開手術はやりたくない」

 そう言って手術は拒否している。

 治療法は、今聞くとかなりめちゃくちゃだ。

 主に抗がん剤と放射線のふたつだけ。

 当時は副作用の吐き気を抑える薬などなかったから、抗がん剤を投与すると、いつも乗り物酔いしているような感覚で、食欲もろくに湧かなかったらしい。

 放射線治療は、なんと通常の3倍の量を照射。放射線を当てた胸から突き抜けるような激痛が走り、背中まで黒く焼け焦げてしまったそうだ。なんとも強烈。しかも、抗がん剤も放射線も3日おきの急ピッチでやっていた。

 無謀というか、豪快というか。

 体力のあったパパだからこそ耐えられたんだと思う。

 他にも、「丸山ワクチン」を打ってもらうために朝早くから病院に並んだり、「サルノコシカケ」を煎じて飲んでみたりもしている。

 どっちも、がんに対する効果はよくわからない。

 酒を作るような大きな瓶にサルノコシカケを漬けて、そこから抽出されたエキスをコップに入れて飲む。最初は小さかったサルノコシカケが瓶の中でブヨブヨと大きくなるもんだから、ママは「グロデスクね」なんて嫌がっていたらしい。

 こうした民間療法にも少しだけ手を出していたわけだ。さすがのパパも、はじめてがんになった恐怖に押しつぶされそうだったはず。